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2021年02月25日09:49

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あの素晴らしい道をもう一度

先日の小鋸山行きのラスト、竹岡ラーメンの腹こなしに入口を探したトレイル探索…

時間が遅かった事も有り、その時はほんの触りだけで引き上げていましたが、この祝日に予定していたモガジイさんらともMTBツーリングが諸事情で中止となった為、早速その続きを見てきました。
今月だけでこのエリア5回目( ̄▽ ̄;)

ポイントは、白狐川沿いの道路とその西に有る山の林道を結ぶルートです。
ここをコースとするトレラン大会に2010年と2013年に出ており、その際にこの林道から逸れ、白狐川沿いまでトレイルを下っておりました。
あれは何処だったのか…?

細かい記憶はかなり曖昧(;>_<;)

林道を登って、広くなった場所にクルマを駐めました。
ここからは歩きです。
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レース時は、確かこの辺りから林道を逸れてトレイルを駈け下りたんだよな…

あっ、ここだ!。
入口は呆気なく見つかりましたo(^o^)o
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荒れ気味ではありますが、案外しっかりしています。

…と思えば20mくらい先で斜面が崩落。
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とは言え、さほどの急斜面ではないし、カド付けするのは難しくなさそう。
思ったより状態は良いかも…

確認したい場所はあちこち有るので、ここまでで林道に戻りました。

そして林道を下ります。
10年前にMTBで少し下った事が有りますが、この「林道」は溝が酷く、たとえ軽でも4WDでも4輪での通過は絶対に無理と言える状況でした。
当時も現役の林道ではなかった訳ですが、それから状況が好転しているとは思えません。

相変わらず溝がひどい…
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土砂崩れの跡も有ります。
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…と思えば、跡どころではない土砂崩れ…道が完全に塞がっています。
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上を越えるのは難しくありませんが、かなり急な斜面で、かつ左は崖が切れ落ちている為、細心の注意が必要です。
こちらは反対側から見たところ。
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ここは地形図にも記載されているトレイルの分岐…
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廃車が有りました。
セダンなので、おそらくマークIIかクレスタのどちらか…
まだ林道として機能していた頃からここに有るのでしょうか。
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もう一台有りました。
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この辺りは一際溝が凄く、深さ、幅とも最大1m以上有りそうです。
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ここは端が崩落したようで、山側に新たな道が付けられていました。
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やがて道が概ね水平に…そして泥濘気味に広がった場所へ。
水没していた場所から水が引いた…という話を耳にしていましたが、ここがそうでしょうか。
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この辺りも土砂崩れが有ったのか、林道だった姿が全くイメージ出来ません。
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少し先は近年整備したのでしょうか、それまでとうって変わったきれいな林道となり、橋を右に渡って集落に続いています。
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そして手前、左に分岐するトレイルが有り、こちらを進むと、その先が素堀りトンネルでした。
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このトンネル、やはり10年前に向こう側出口の前までは来た事が有ります。

とりあえずこの「林道」は全て歩いたので、登り返しました。
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途中、マーキングが有ると思えば分岐のようなものが…
地形図には載っていません。
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クルマを駐めた場所まで戻ってきましたが、今度は反対側へ向かいます。
地形図にはこの先からトレイルが2本下っているのです。
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先ずはこちら。
一度このピークに登ってから下っていくよう。
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もう一本は荒れ気味か。
いきなり倒木です。
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これで林道側入口は確認しました。
次は集落側です。

クルマに戻り、下の集落へ向かいました。

最初に見た(斜面が崩落していた)トレイルの出口はここのよう。
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中からはこんな感じ…
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するとこの先はここか。
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レースでここ走ったのかな…
記憶が曖昧(;>_<;)

この先に再び山へ入った口も確認しておこう。

ここから入っていった筈…
と思えばいきなり分岐!
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先ず直進から確認…いや、こんなところは来ていない!
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では分岐を左か?
なんか覚えが有るような?

そんな感じで地形図を睨みつつ、記憶を引っ張り出してアチコチ歩き回りました。
かつてレースで走った道が何処なのか、入口出口はなんとなく分かってきました。
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次回は中を調べてみないと!
先は長いな( ̄▽ ̄;)

さて
帰路はまたまた竹岡ラーメン。
今度は木更津の「竹岡屋」さんでした。
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余談ですが、この「竹岡」という場所の古名は造海(つくろうみ、つくろみ)です。
何でも漁師絡みの名称だそう。
そして造海城も有りました。

ここを領していたのは真里谷武田氏で、里見軍に攻められた際、寄せ手の大将に「優れた和歌を百首詠めれば開城する」と伝えたところ、百首の和歌が届いた為に開城した…
そんな伝承から百首城とも呼ばれたそう。
しかし戦国時代の終わりと共に廃城となりました。

しかし幕末になって江戸湾防備の為に房総各地に砲台を設置した際、それぞれ松竹梅から「竹岡」「松岡」「梅岡」などの名前がつき、そのうちの「竹岡」が現在ここの地名として残っています。
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