ちょっと前の日記に書いた、東松山市のレトロポップ食堂。
その所在地の地名は箭弓町となっています。
駅のすぐ近くに箭弓稲荷神社が有りますから、ここに由来する地名なのは間違い有りません。
さて
この「箭弓」の読みは「やきゅう」です。
他で見かける機会が少ない名前ですが、この読みに関しては知っていました。
何も「知っている」自慢をしたい訳ではなく、偶々、別の箭弓神社を知っていたのです。
それが勤務先近くに有る箭弓稲荷神社。
春くらいに日記に書いていますが、一見、長屋の一部かと思う外観…しかしこれは門であり、くぐったところに小さな本殿が有るのです。
その向かいに有るのは、以前利用していたQBハウス跡地に出来たレトロモダンなカットハウス。
東松山の神社がレトロポップ食堂の近くであるように、「箭弓神社」と「レトロ〜」は縁が有るのか?という錯覚を起こしそう(^_^;)))
さて
神社と言えば、日本古来の神から実在の人物まで、色々な神様が奉られております。
例えば、八幡神社とか氷川神社は各地に有る著名な神社ですが、ではこの箭弓神社というのは?
気になったので、調べてみました。
すると、箭弓神社とは東松山に有るのがそれであり(ただし創建時は野久稲荷神社)、勤務先近くのが分霊と書いてあるだけで、どうもこの両社だけのよう。
それは意外な…
そもそも「箭弓」とは何かと言えば、「矢弓」であり、更にこの地の古名「野久」であるとか…
野久稲荷神社に武具を奉納した事が起源であるよう。
その武具を奉納したのが甲斐守源頼信です。
平安時代、関東の乱と言えば平将門が有名ですが、凡そ90年後に再び関東は大きく乱れました。
将門の女系の孫でもある平忠常の乱です。
この平忠常、男系では将門の叔父である良文の孫で、後の千葉氏や上総氏ら房総平氏の祖となるのですが、乱が始まって3年ほどの後、新たに追討使となった源頼信に降伏。
乱は平定されました。
と言っても、忠常は頼信と殆ど戦う事は無いまま降伏したそう。
3年に及ぶ乱の間、忠常の本拠である房総三国は荒廃、兵も疲弊し、戦い続ける力が尽きていたという事です。
ところが、箭弓稲荷神社の由緒によると、少し異なる話になっているよう。
武具を奉納した晩、白羽の矢のような雲が敵陣に向けて飛んで行ったのを見て、頼信は神のお告げと確信し、大軍を率いて来襲した忠常の軍勢に攻め込み、三日三晩にわたる激戦の末、勝利した…のだとか。
神社の由緒に異議を挟む訳ではないですが、これはやはり伝説でしょう。
この時代の合戦であれば、戦国後期のように万の軍勢同士が戦うとは考えにくく、恐らくは多くて数百人規模なのでは…
「幾度にもわたる小競り合いの末」ならともかく、「三日三晩にわたる激戦の末」というのは如何なものか。
ただ、忠常が降伏する前であれば、武具を奉納して勝利を願うというのは自然です。
合戦は無くとも、相手が降伏したという事は、すなわち勝利した訳ですから、当たらずと言えども遠からずというところでしょうか。
こうしてみると、平忠常の乱と箭弓稲荷神社の関係は、平将門の乱と成田山新勝寺の関係にも似ています。
東松山に次行くときは、箭弓稲荷神社にも行かねば!
なんでも「やきゅう」読みである事から、野球関係者の参拝も多いそうです。
それにしても、全国に二社の箭弓稲荷神社が、どちらも縁深い場所に有るとは(@ ̄□ ̄@;)!!
ログインしてコメントを確認・投稿する