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2019年10月19日20:38

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このサイトに嵌まってますPart0037


 本日「5.19皇統廃絶クーデター」発生884日目、「極東戦域核戦争」開戦838日目、「人民の天皇論」宣撫開始173日目(怒)。〔再掲〕日本法制通史概論その6。前回と同日掲載が「日本法制通史概論」第16弾。「新羅反逆編」。さらにハイペース化(笑)。〔2016年01月27日掲載〕


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最近、考えたこと。Part0030編集する
2016年01月27日13:50全体に公開 みんなの日記 1 view

 さてと、話を続けますか。前回、「日本が韓国を建国した」ってとこまでいった。ここまでは良かった。作戦は成功した。だが、戦闘民族が国王殺られて黙ってるわけ無いでしょ、って話をします。1650年前に極東に存在した5つの国家は以下の通り


� �扶余王国        扶余系の本国、君主も国民も扶余族

�◆�高句麗王国       扶余王国から独立、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

��、百済王国        旧馬韓諸国。君主は日本人、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ⊃畦綛顱        ゝ戝ご攴�国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ァ�大和国         現・日本国、当たり前だか君主も国民も日本人


満州族・高句麗王国は当然反撃の機会を得かがった。だが、満州族は気が荒くしょっちゅう異民族とトラブルを起こし争いが絶えないためなかなか南下の機会が無かった。そこで外交工作を始めた。君主が日本人の百済王国ははじめから無視した。当然、ターゲットは新羅国に絞られた。当時、新羅国では君主の漢族・金氏が日本人が撤退したことをいいことに「漢化」を進めだした。


韓国人の姓がチャイナ風の一字姓になっていくのはこのころからだ。


半島最初の「創氏改名」ってわけだ。これは韓国の文化に「破滅的悪影響」を与えた「文化破壊」の最初の一歩だった。ま、本稿は日本法制通史概論で韓国文化史ではないので詳しくは語らないがほんとうに「破滅的」だった。長い間韓国人はこのことに気が付かなかった。だが、近世以降に日本と交流を再開してからそれを発見し「驚愕」した。


金氏は韓国固有の「伝統文献・伝統文化」を根こそぎ破壊した


のだ。まるで坑儒焚書だ(-_-;)。それでもこの後の政権が文化保護につとめれば再建は可能だったが、その後も「文化破壊」は続いた。なせ続いたのかは後で語るとして話を元に戻そう。満州族・高句麗王国はまずチャイナの北朝に臣従の使者を送る。その上ですでに臣従の使者の使者を送っていた新羅国に同盟を申し込んだのだ。


半島をチャイナ領にしたかった漢族・金氏は日本との盟約をあっさり反故にして裏切った。


戦争は再開された。これが「神功皇后の三韓征伐」の真相だ。1600年前、第15代応神天皇は国軍を再び半島へ送り新羅国に攻め込むが同盟に従って高句麗王国は百済王国に侵攻。やもうえず軍を分けて高句麗軍を迎撃させるが平壌の南で大敗してしまう。そこで新羅国の攻撃を中止し軍主力を転進させソウル近辺で高句麗軍を撃破した。ここで第16代仁徳天皇は「裏切った」新羅国と講和し外交工作に着手する。南朝・東晋へ臣従の使者を送る。これが倭の五王の遣使だ。バカな漢族・金氏のおかげで


北朝=高句麗王国=新羅国

Vs

南朝=大和国=百済王国


と韓半島でチャイナの南北朝の対立が再現されるバカな展開になった。しかも、国際政治学的に見ればどう考えても同盟関係ねじれてるし(-_-;)。この「捻れ」が後に大動乱の火種になった。それから200年にわたって小競り合いが続く展開となった。まず1500年前に扶余王国が勿吉(モンゴル族)に滅ぼされる。1470年前、北朝側の攻勢で百済王国の首都漢城(現在のソウル)が陥落、大和国は「任那日本府」を放棄する。押され気味だった1400年前に隋王朝がチャイナを統一すると事態が一気に動き出す。滅亡した南朝に遣使していた大和国改め日本国は急いで北朝の流れを汲むチャイナ・隋帝国に使者を送る。


有名な「日出るとこの天子、日没するとこの天子に書をいたす」の遣隋使だ。


もちろん結果は大失敗!幸いなことに「臣従の盟約」の履行を求めて来たチャイナ・隋帝国の要求を満州族・高句麗王国が拒否して隋・高句麗間の大戦争が勃発したので助かった。大激戦だった。この間隙を縫ってチャイナでは将軍・李淵が決起、隋帝国を打倒してチャイナ・大唐帝国を建国する。再び、チャイナ・大唐帝国は「臣従の盟約」の履行を高句麗王国に要求するが高句麗王国はこれを拒否して唐・高句麗間の大戦争が再開される。


ここでなんとバカな漢族・金氏が半島にチャイナ軍を引き入れたのだ。あぶねーーー。


1340年前、大唐帝国は苦戦中の唐・高句麗戦争を南北挟み撃ちの形で逆転させるために海路、百済王国へ侵攻。日本は救援軍を送り込むが白村江の戦いで大敗。百済王国は滅亡する。その後、超大国・大唐帝国に南北から挟み撃ちにされた高句麗王国は大敗し満州奥地に逃亡。再建されつつあった旧扶余王国を乗っ取り亡命政権「渤海王国」を建国する。1300年前に極東に存在した4つの国家は以下の通り


� ⌒潦げ�国        旧高句麗王国、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

�◆∧疹蹈灰蹈法�(安東都護府)チャイナ領、住民はの大部分は扶余族で漢族が少々

��、新羅王国        旧辰韓諸国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ�日本国         旧大和国、当たり前だか君主も国民も日本人


さてと、四つに減った。予告道理、後二つ「消える」。冷酷極まりない力だけが支配する国際条理における極東サバイバルゲーム。この過酷な試練を我らが父祖たちはどうやって生き延びてきたのか。続きはまた次回語ろう。


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 続いて2日後に書いたのが「日本法制通史概論」第17弾。「半島統一編」。し・か・し、漢族の「文化破壊」癖、どうにかならんのか(-_-#)。「〔2016年01月29日掲載〕


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最近、考えたこと。Part0031編集する
2016年01月29日04:21
全体に公開 みんなの日記 1 view



 さてと、話を続けますか。前回、「漢族・金氏が裏切り半島にチャイナ軍を引き入れた」ってとこまでいった。これから日満間の半島をめぐる「600年戦争」の最終幕について話します。1300年前に極東に存在した4つの国家は以下の通り


� ⌒潦げ�国        旧高句麗王国、君主は満州族、国民は扶余族と満州族が半々で漢族が少々

�◆∧疹蹈灰蹈法�(安東都護府)チャイナ領、住民はの大部分は扶余族で漢族が少々

��、新羅王国        旧辰韓諸国。君主は漢族、国民の大部分は扶余族で日本人と漢族が少々

�ぁ�日本国         旧大和国、当たり前だか君主も国民も日本人


だ。新羅王家・金氏もやってしまってから不味いと思ったらしい。なぜなら、チャイナ・唐軍はそのまま北上し平壌コロニーに陣取って高句麗王国攻撃に専念し、南には少数の守備隊しか置こうとしなかったからだ。もし日本が唐軍と和睦の上で再出兵してきたら完全にアウトだ。すでに遣唐使は送られていたから十分可能性があったが、


異様な親新羅の第39代天智天皇が逃げ腰の上に謎の死をとげ。


その上に後継者の弘文天皇が叔父・天武天皇の軍事反乱によって打倒されるという大事件(壬申の変)が起き出兵どころの話ではなくなってしまう。そこで新羅王家・金氏は従来の方針をあっさり捨て、唐を裏切り日本に朝貢して来た。日本側は拒絶しての再出兵も考えるが、反乱の後始末が終わっておらず、新羅打倒後のチャイナ・大唐帝国との対立を懸念して渋々新羅王国の服属を認めた。日本側に寝返った新羅王国はその援護下で南部の唐軍を皆殺しにし、平壌コロニー(安東都護府)へと侵攻、これを壊滅させた。新羅王国は三韓諸国を統一した。韓国建国時、日本側が望んだことは以下の3つ


� �韓半島南部に「敵対的な国家」を置かせない事

�◆�日本側に「対チャイナ交易ルート」を保障すること

��、韓半島から日系住民は基本的に撤退するが、残留日系住民を保護すること


だ。そのために任那・日本府を設置し、百済王国を建国し、新羅国の建国を認めたのだ。理想からいえば日系の王を推戴する忠実な百済王国が新羅を打倒し平壌コロニーを確保するのが良かったのだが、新羅王国の三韓諸国統一は漢族の王をいただくとはいえ上記3条件をほぼ満たしており妥当な結末のように思えた。こ・の・と・き・は。だが、時間がたつごとに話がドンドンおかしくなって行った。1200年前から新羅では反乱が頻発、なんと海賊船団を組んで日本各地を襲撃するようになる(羅寇)。どうも、漢族・金氏の「漢化による文化破壊」が法規範の崩壊をもたらしトンデモナイ「異常思想」を醸成してしまったらしい。これを小中華型レイシズム(小中華思想)という。簡単に言えば


中国人(新羅王族・金氏)は親、韓国人(新羅人)は兄、日本人は弟だから何をされても文句言うな!


って事。絶句。言っとくけどこのタイプのレイシズム(人種差別)は韓国人の間では今でも日常的に話されていて、日本語版の韓国紙にさえこれまた日常的に出てくるぞ。ほんとウンザリ(-_-;)。少しはそれがレイシズム(人種差別)でナチス張りの「異常思想」「異常思考」だっていい加減気付けよ(怒)!これに気付いた日本側は「絶望」した。韓国を建国したことさえ「後悔」した。そこにすばやく漬け込むための情報工作員を送り込んできた国があった。渤海王国つまり満州族・高句麗王国である。34回にわたって平安帝国へ「渤海使」を送り込み、


「ダンナ任して下さいよ。アホどもにゃ文句ひとつ言わせませんから、徹底的にね(黒笑)。」


腐敗し堕落しきった官僚貴族たちにそうやさしく「悪魔の誘惑」を囁き続けた。そして、最後の瞬間がやってきた。満州族は必死だった。満州奥地に民族ごと島流し同然に封じ込められた状態を脱するためなら「何でも」やる気になっていた、ってか何でもやった。大量の情報工作員を新羅王国に送り込み、殺人・誘拐・強盗・強姦・テロ・デマ工作・反乱扇動・住民暴動等々「お前鬼か?」ってな話をてんこ盛りでやった。新羅王国が健全な状態だったら国民が怒って立ち上がり情報工作員なんぞまとめてフン捕まえて全員ぶち殺していただろう。だが、


新羅王国の国民は「漢化による文化破壊」に「絶望」して何事にも「無関心」になっており、誰も立ち上がろうとはしなかった。


それを見た満州族は「エース」のスーパースパイ・王建を半島に投入。弓裔という山賊をフット(足)として開城に後高句麗王国を建国する。甄萱将軍があわてて百済王国を再建し日本へ援兵を求るが日本の官僚貴族は腐敗し堕落しきっていた上に「話がついて」おり、出兵は当然のように拒否された。王建は邪魔になった弓裔を殺し、新羅を下し、後百済王国を滅ぼして半島を統一した。日・満600年戦争は満州族・高麗王国の全面勝利によって幕を閉じた。1100年前、極東に存在した二つの国家は以下の通り


� �高麗王国        旧渤海王国、君主は満州族、国民は扶余族と満州族の混血が大半で漢族と日本人が少々

�◆�日本国         旧大和国、当たり前だか君主も国民も日本人で日本人と扶余族の混血が少々


そして、少しエピローグを書いておこうか。高麗王国では満州系貴族と扶余系庶民との間に厳しい階級制度が設けられたが、同時に王統の正当性を誇示するために「漢化政策」が緩和され民族文化の復興運動が起こった。日本書紀をまねて「三国史記」や「三国遺事」といった国史が編纂され、「郷歌」という日本の和歌に相当する伝統歌謡や伝統文学の復興が試みられた。征服者の満州族にとっては漢文化も扶余系韓国文化も等しく「外国文化」であり、自分たちが戦闘技術以外の文化を持たなかったこともあって進めはしなかったけど邪魔もしなかったらしい。


征服王朝でよく見られる「無関心型の文化的自由」があったわけだ(笑)。


庶民は酷く喜んだ。これらを元に満州系貴族と扶余系庶民の唯一の共通点である「仏教信仰」を媒介として新しい「国民文化」が形作られようとしていた。だか、漢族・金氏の文化破壊は「徹底」していた今までに発見された「郷歌」は全部でわずか25句だ(日本では万葉集一冊で4500首)。漢族を王に建てる「恐ろしさ」しみじみ感じちまうよ(-_-;)。やがて、高麗はモンゴルの侵略を受け抗戦30年の末に全土モンゴルに占領され今の二つどころか4つに分割されてしまう。元寇のお先棒担いだのはこのときの話だ。忘れもしない750年前の話。だが、


韓国人にとっての「絶望的弾圧」は実はこの後にやってきた。


チャイナ大陸でモンゴルが敗退した600年前、撃退した明王朝に忠誠を誓ってモンゴル化した高麗王朝を乗っ取ったのが「狂信的漢化主義者」李成桂だ。このひと何者なのか?実は満州系女真族の傭兵隊長。親父もリ・ウルスブハと言いモンゴルに雇われた傭兵隊長だった。1100年前、韓半島に南下せず、900年前チャイナ大陸に南下して金帝国を建国した挙句モンゴルに大敗して満州に逃げ帰ってきた連中の末裔だ。一度は半分とはいえチャイナを制したという「歪んだプライド」を持っており、自分を「半チャイニーズ」と考えて新羅王国時代の「小中華型レイシズム(小中華思想)」を復興させしかもあらゆる方法を使ってこれを「徹底」した。


出来上がったのはまさに「この世の地獄」だった。


まず、徹底的に「思想統制」をかけた。特に信仰の自由を憎悪し、満州系貴族と扶余系庶民の唯一の共通点である「仏教信仰」を徹底的に弾圧した。そして、「朱子学」を国教と定め、これを学べるのは満州系貴族である「両班」だけに限定した。つまり、学問の自由も徹底的に排除したわけだ。次いで身分制度を改めた、ってかおいらこれを


「身分制度」と呼ぶことさえ激しい嫌悪感を感じるよ。


李成桂は「国民総奴隷化」に限りなく近い「アパルトヘイト(人種隔離政策)」と「カースト制度」を混合させた極めて特殊な身分制度を創設した。「今日の我々の生活が辛く困難に満ちているのは、さながら李朝史(韓国史)の悪遺産そのものである」と嘆く朴正煕元大統領の気持ちがすげーー良く判る(苦笑)。そして、最後に「国を売った」。自国を徹底的に属国化した。


首都ソウルのど真ん中に「迎恩門(チャイナ様、属国にして頂いて有り難う御座いましたゲート)」作る始末。


でも、実はこれ(統治組織ではない)支配機構としては実に秀逸で長期にわたって「安定」した。ただし、王様以外特に庶民生活はまさに地獄絵図だった。本稿は日本法制通史概論であって「朝鮮王朝残酷物語」ではないので詳しくは述べないが、二つだけ実例を挙げておこう。この前やってた、韓流ドラマ「イ・サン」の主人公李祘の親父なんて父親の国王に「箱詰め」にされて餓死してる。王子だって簡単に殺す。属国として宗主国チャイナにみやげ物持ってかなきゃならないんだけど何持ってったと思う?


大部分は人つまり「奴隷」だった。特に悲惨なのは「宦官」、つまり「チンチン切り奴隷」だ。


皇帝のお妾さんの面倒見るために必要なんだってさ(怒)!貧乏な家の小学校低学年ぐらいの男の子たちが毎年毎年王様の命令で「チンチン切り奴隷」にされてチャイナに売り飛ばされていった。。。。もうよそう、もっともっとイーーーパイ有るけど、精神衛生上よくない!ほんと朝鮮王朝史読むと気分が暗くなるよ!はーーー。そして、100年前、韓国民の6人に1人が加盟した日韓併合請願団体「一進会」の要請を受けて、この「地獄の王国」を俺たち日本人は「解放」した。最初にやったのは「奴隷解放」だった。それから韓国人の生活を向上させるために今の金で150兆円もの「日本国民の払った税金」を投入してインフラを整備した。なのに帰ってくるのは罵倒だけだ。韓国民はマゾなのか?おれは時々真剣に疑いたくなる。韓国民はマゾなのか?


韓国民は自分たちを助け守ろうとする人間を憎悪し、踏みつけ搾取しようとする人間を愛する


様にしか見えない。韓国独立派の伊藤公爵を殺し、韓国併合派の山県元帥には平気で降伏する。現に伊藤公爵暗殺犯は記念館まである英雄扱いではないか?朴正煕は殺しといて金大中は天寿を全うおかしくないか?名目だけとはいえ自由社会であるはずなのに自国民の一割以上を己の権力ためにだけに殺した金一派を支持する「主思派」がどうしてあんなに沢山いるんだ?「奴隷になりたくない人々」を解放するのは簡単だ。鎖を断ち切ってやればいい。だが、


「奴隷になりたがる人々」を解放するにはどうしたらいいんだ?


なにかがオカシイ、なにかが間違ってないか?おれはその正体が近代思想「アジア主義」と名を変えて日韓両国に現れた「小中華型レイシズム(小中華思想)」であると確信している。ま、おれの「アジア主義」研究は始まったばかりで詳しい論証は今はまだ出来ないけどね。一通り分析がすんだら公表するよ。繰り返す、俺は「アジア主義」と戦う。それと日韓両国民が忘れてしまっていることを指摘して今日を筆をおこう。漢族の新羅王族・金氏がかけた「呪い」は「チャイナが親、コリアが兄、日本が弟」だったな。こんな「オマジナイ」信じんな!史実から見れば「チャイナもコリアも日本」もお互い血縁関係にない「赤の他人」だ。日韓も日中も韓中も「同祖」ではない。10万年以上さかのぼっても基本的に血縁関係は「存在しない」のだ。だがこれまで論証してきたとおりこっちは史実だ。


日韓は血縁関係のない親子関係にある


つまり、日本が養父で韓国が養子だ。そして、1100年前、俺たち日本人は韓国を「捨てた」。捨てられた養子が1000年後戻ってきたらひどくグレてたってわけだ(笑)。みんな、ほとんど無意識のうちに感じてたことだと思う。日韓双方で自分でも説明のつかない様な「愛憎」が生まれるのはこれが原因ではないだろうか?おれはそう思う。うそにうそで対しても決して真実にはたどり着かない。真実にたどり着くのは例えそれがどんなに不快なものであったとしても「事実」を直視しつづけられる「勇気」だけではないだろうか?今日、俺はそんなことを考えていたよ。とほほ。


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半島戦争終結。「文化破壊」は「国民」の「絶望・無気力・無関心」を呼ぶ(-_-#)。みなさん、どこかで聞いた話だとは思いませんか(黒笑)?続いて4日後に書いたのが「文化破壊」に危機感を感じて開始した「アンチ・アジア主義」の対抗情報戦論考「亜細亜思想批判要約」の初回。〔2016年01月31日掲載〕


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最近、思ったこと。part0008編集する
2016年01月31日00:48全体に公開 みんなの日記 3 view

 最近、ちょっとハードワーク気味。「判ってるなら即実行!」と今年のモットーどうりに頑張ってみたが少し疲れた、今日はお休み。年頭からほぼ一月で原稿用紙130枚分ブログ書いてみたけど、プロじゃねーーちゅうの(-_-;)。ほぼ新聞小説2本掛け持ちのペースで書き続けてきたが、それでも「書きたいこと」、「書かねばならぬ事」の大半は書けなかった。しかも、「宿題」がどんどん増えていく(-_-;)。おととい、


「アジア主義」に対する対抗情報戦を宣言


したが、おかげで昨日は10時間以上かけて下調べをする羽目になった。はっきり書けば、「アジア主義に対する対抗情報戦」を行うためには「漢学」の素養が必須であることに気付いたのだ。わが事ながら気付くのが遅い、遅すぎる(-_-;)。一昨日書いたとおり


「アジア主義」=「小中華型レイシズム(小中華思想)」


なんだから当然以下の式も成り立つ


「小中華型レイシズム(小中華思想)」∩「中華思想」


つまり、「アジア主義」を解析するためには「中華思想」の解析が必須でありそのためには当然「漢学」の素養が絶対的に必要になるわけだ。正直、ウンザリ(-_-;)。でも、日本語の構成上「漢学」の素養は実は必須であり、戦後エリートたちが「古いの一言」で「放棄」してしまったその間隙をアジア主義者と全体主義者たちが徹底的に逆用していることは明白な事実なんだ。その悪影響はとても言語ではいい表せない(怒)。おれも「漢学」サボってきた口だからあまりえらそうなことは言えんけどね(-_-;)。ま、とりあえず簡単な目途はついたけど、


その量に心底ビックリ!


たとえばチャイナ思想の中核をなす「儒教」ひとつとっても経典だけで16種、邦訳すれば原稿用紙8000枚ほどのボリュームがある。この上、主要な注釈書だけではその3倍はあるだろう。しかも、「儒教」は宋代(1100年代前後)にほとんど解体的に再編成され「新儒教」として生まれ変わっておりその新経典・注釈書、それを批判する宗派の書いた外典・注釈書が主要なものだけで合計で40000枚ぐらいある。大体、


主攻目標の「朱熹(朱子・朱子学の創設者)」の著作だけで10万枚以上あるんだから目の前暗くなったよ(-_-;)。


でもこれで終わりじゃない最低限、道家・法家・墨家・兵家・名家・雑家・陰陽家・縦横家の8学派の主要著作を網羅的に猟歩しなければならない。これが、主要テキストだけで15000枚ぐらいあり、さらにあの膨大な歴史書群がある。正史26史全体で15万枚ぐらいか稗史・注釈・撰でほぼ同量あるだろ。全体で38万7000枚。400ページの文庫本にして484冊、重さで114キログラム。はーー。まじかい(ToT)。俺が何をした(-_-;)?何の罰ゲームだ、これ!


国立大学の教授の皆様。これ、あなた達の仕事だとは思いませんか?
何なら作業は分割で結論部の著作権はお譲りいたします。ぜひ、至急ご連絡を!


って来るわけ無いか(-_-;)。ほんと、世の中腐れてんな。税金食らって責任回避。国民なんザ知ったこっちゃ無いってか?国立大学の教授くらい責任感の薄い「下種野郎」は珍しいね。オタッキーにここまで言われて悔しくないんか(怒)?ふーー、ま、いい。象牙の塔で「引きこもって」ろ。因果応報、必ずツケを払うときが来るぞ!その時、ほえ面かくな!さて、孤立無援ですけど「アジア主義に対する対抗情報戦」始めますか。判ってるなら即実行!残り38万7000枚、兎に角トライ・負けてら烈火!とっほほーーーー。


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作業「算定」開始。ここですでにヘタレてます(ToT)。「その6」はデーター量の関係から今日はここまで(笑)。まだまだ続きます(笑)。その話はまた次回語ろう。



おまけにみくしー検索かけてみました。

「小中華」

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