主人公エドワード・ノートンはいわゆるワルの若手リーダー。
殺人を犯して刑務所に入るが、出てきたときはすっかり真人間。
その流れも物語としちゃ重要ではあるが、
外で彼を迎えた友人知人知り合いたちは、昔の彼だとしか思わない。
彼が不在の間にワル仲間はギャングの下部集団に取り込まれてて
ギャングは「やっとリーダーができた」とおだてるが、
彼はもう昔の彼ではないので組織を抜け、まっとうな仕事につく。
彼をすごく尊敬してた弟がそんな彼をみて学校の宿題の作文を書く。
それの題名が「アメリカンヒストリーX」、兄の歴史。
弟も兄の考え方を理解しようと努めるのだが、
つまらないけんかの末に友人(黒人)にトイレで銃殺される。
その知らせを聞いた兄は、どうする?
そこで映画は終わる。
映画の先を考えるのも難しいが、
この裁判の流れも難しい。
家を間違えた挙句に無抵抗のその家の住人を銃殺した警官は明らかに犯罪者だが、
きちんと犯罪者として判決が下ったとき、親族や友人が「喜ぶ」のは当然と思う。
「喜ぶ」というか、「よしそれでこそ正義だ」という感じ。
ただもし、殺されたお兄さんが弟が言う通り「それでも許す」ような人間だったなら、
それはそれで大変に尊い、めったにない、素晴らしいことだと思う。
自宅と間違えて住人を射殺した元警察官に、被害者の弟「兄なら許した」とハグ(米)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=103&from=diary&id=5815433
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