赤いベレー帽をかぶり、絵のモデルにならないかと誘う連続強姦魔です。犯人は、大久保清、罪状は、死体遺棄及び強姦殺人。1971年5月13日午後6時頃、群馬警察は、会社員のAさん誘拐容疑で大久保清の身柄を拘束しました。
そして、26日、警察の詳しい取り調べに、大久保はAさん殺害を認め、さらにこの2か月の間に捜索願がだされていた女性のうち7人の殺害を自供。Aさんを含めて8人の死体は、供述通りに発見されました。大久保清は1935年1月、群馬県高崎市で生まれました。父親は国鉄の機関士、母親はロシア人とのハーフです。
兄弟は姉妹5人と兄が1人います。大久保清は「ボクちゃん」と呼ばれ、兄妹のあいだでは特にかわいがられていたといいます。大抵のわがままやいたずらは許され、母親は大久保が36歳だった事件当時まで「ボクちゃん」と呼んでいました。
小学6年の時、幼女に性的いたずら。被害者の親が抗議に来た時も、母親は「ボクちゃんがそんなことをするはずがない」と信じようとはしませんでした。地元の中学から定時制高校に進むが半年で退学。横浜市の電器店にて住みこみで働き始める。だがすぐに実家にもどり、ラジオ修理販売店を開業しますが、19歳の頃、窃盗事件を起こし閉鎖します。
1955年7月、伊勢崎市で大学生になりすまし、女子高生に強姦して、懲役1年6ヶ月、執行猶予3年の判決を受けます。しかし、その半年後にも再び強姦未遂事件を起し、今度は懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けた。1962年、ナンパで知り合った女性と結婚。自宅で牛乳販売店を開業して、一男一女をもうけました。
1965年6月、自分が配達した牛乳の空きビンを盗もうとした少年を捕まえ、その兄を恐喝したために訴えられ、公判で強姦の前科が明らかになり、この事件後、店の売上げは大きく落ち込み、強姦を繰り返すようになりました。
1966年12月、ナンパした高崎市の女子高生を強姦、さらに翌年2月に顔見知りの短大生を強姦して逮捕され、懲役4年6ヶ月の判決。1971年3月2日、府中刑務所を仮出所した大久保は、室内装飾品販売業を営むという計画書をだして、父親にマツダ・ロータリークーペを買ってもらって毎日外出していました。だが、商売をする気はなかった。
これ以後、ナンパに明け暮れたといっても過言ではなく、ベレー帽にルパシカ(ロシア風の上着)という芸術家風のいでたちで、脇には小説を抱えた。これが大久保の考える魅力的な男だったと言います。大久保は主に県内の主要な駅のターミナルに出没、「美大を出た絵描き」「太田市の中学校の教員」と名乗って、女性に声をかけました。
「教員だという男の人に、絵のモデルになってくれと頼まれたの。ちょっと行ってくる」1971年5月9日、日曜日の夕方、群馬県藤岡市のOL・G子さん(21歳)は、こう言って家を出たきり自宅にもどらなかった。彼女はそれまで無断外泊をしたことはなく、日付が変わっても戻らないのを心配した家族は警察に届け、徹夜で捜索を始めました。
10日早朝、近くの信用金庫前で、G子さんの兄が妹の自転車を発見。そばには中年の男がいて、軍手をはめたていたので、兄が声をかけると、男はそばに停めてあった車で逃走した。兄は車種とナンバーを覚えており、ここで県内に住む大久保清(当時36歳)という男の名が浮上しました。
大久保は強姦致傷、恐喝など前科4犯を重ね、この年の3月に府中刑務所を出所したばかりでした。5月13日夕方、大久保は前橋市の路上で、家族の私設捜索隊によって取り押さえられました。逮捕されてしばらく、大久保は「絵のモデルになってくれと言って誘い出したことは事実だが、モーテルに連れ込もうとしたら怒って逃げられた。」
などと、G子さんの行方については何も話しませんでした。5月21日、榛名湖畔で若い女性の遺体が発見された。警察が最近2ヶ月のあいだに捜索願が出された女性中から、大久保が狙いそうな女性をピックアップした中の1人、行方不明となっていた女子高生(17歳)のものでした。
5月26日、大久保は厳しい取調べを受け、G子さんの殺害死体遺棄を全面自供。翌日には供述とおり、妙義山北面の桑畑に埋められた女性の遺体が発見されました。取り調べでは、他の家出人女性についても聞きだした。このあと大久保はすんなり自供を始めた。以後、被害者の遺体は次々と掘り出されました。
大久保事件の被害者は8人にも及ぶ。16歳から21歳までの若い女性が狙われており、ナンパして関係を迫り、抵抗されたりすると殺害した。大久保が逮捕されるまでに声をかけた女性の数は約130人。最初の殺人から、わずか41日間で8人を殺害しました。判決は、1973年2月22日、前橋地裁は大久保に死刑判決を下しました。
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