さて
先日の日記に書いた東金への御成街道の件です。
ネット地図などを参考にしながら、現存して走れるルートはだいたい分かりました。
起点である船橋御殿から四街道市までは、下志津駐屯地前後を除いて、ほぼ走れます。
四街道市から千葉市若葉区を経て、八街市に入る辺りまでは、道が切り替わったりしていますが、だいたい走れます。
しかし、八街市の途中、圏央道辺りからは、それらしき道はもう見出だせません。
ほぼ直線という御成街道ですが、この先にはゴルフ場などが有り、開発に飲み込まれてしまったのでしょう。
仕方が無いので、ここからは比較的それに近い道を選んで八鶴湖まで行く事になります。
かつて神君家康公も二代目将軍秀忠公も通った御成街道…
明日行こうと企んでいますが、距離的には大した事無いので、可能であればその後に大多喜町の限山へ行ってみようかと…
この山や入山口の位置は分かりましたが、現状は皆目不明なので、歩き始める時間が重要です。
時間次第ですが、この間は輪行でも良いでしょう。
登る人がいると思えない限山ですが、先月から壬申山、御所塚山と歩いてきた壬申の乱山歩きシリーズに、欠かせない山なのです。
乱の勝者大海人皇子と、万葉集で有名な額田王の間に生まれた第一皇女であり、かつ敗者大友皇子の妃でもある十市皇女。
一般的には、乱の後は父親大海人皇子の元に返ったものの、後に自害した事になっているよう。
しかし、大友皇子が上総に逃れてきた伝説の中では、皇女には別の悲劇が待っておりました。
大海人皇子(即位して天武天皇)の追討軍が来襲、皇女は亀山の地に逃れます。
大友皇子は追討軍に破れて腹を召して自害、皇女は勝浦を目指して山中に分け入ります。
しかし途中で産気づき、山中での出産したものの、流産の末、皇女もここで亡くなりました。
皇女を哀れんだ土地の人が、大友皇子と十市皇女の霊を手厚く弔い、社を建てたのが、現在も残る筒森神社…
明治になって神社の場所は変わりましたが、筒森神社の祭神は十市皇女であり、安産の神とされています。
壬申山、御所塚山、限山と登って、壬申の乱山歩きシリーズの完歩ですが、おそらくは藪山だろうなと思われます。
もし歩くのが難しそうなら、藪が薄くなる冬に再訪する事にして、今回は下見とするのもアリです。
そして、更に可能ならば亀山湖でバス料理を食べられれば最高♪ヽ(´▽`)/
これまた時間次第ですが、上総亀山から久留里線輪行でも良いし、君津まで出ても良し。
さて
どのバイクで行こうかな!
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