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2018年10月09日16:53

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田舎暮らしは楽じゃない^^;

テレビの「田舎暮らし」礼賛を真に受けてはいけない
夢見る人に言いたい、「田舎暮らしは慎重に。」
2018.10.9(火) 筆坂 秀世

転職は人生の一大事

 最近、お気に入りのCMがある。バカリズムと松岡茉優が出演する、エン・ジャパンが運営する総合求人・転職支援サービス『エン転職』のCMだ。同社のホームページによると、「en」というのは、「縁」からきているそうである。このCMの決め言葉は「転職は慎重に。」である。「売り手市場で転職者優位な状況が続く今こそ、安易な転職で後悔しないよう、慎重に転職活動に臨むことが大切。十分に情報を収集した上で、真に活躍できる仕事・会社を見つけていただきたい。そんな想いを込めたメッセージ」だそうである。

 それにしても世の中変ったものである。私が就職して働き始めたのは、1966(昭和41)年である。高卒であれ、大卒であれ、将来の転職を考えて就職した人は皆無に近かったと思う。終身雇用が根付いていたこともあったが、当時はすぐに仕事を変えるような人間は、辛抱が足りない人間として見下されたものである。

 それがどうだろう。今では転職など、ごく普通のこととして行われているようだ。あまり転職を考えないのは、公務員ぐらいではないのか。現在の転職事情は、古い人間の私にはもはや分からないことだが、恐らく転職ができるのは、その人がある優秀さを備えているからだろう。先日もテレビを見ているとブラック企業など5社を渡り歩いてきた青年が、現在の会社では指導的な立場にあることを事もなげに語っていた。

 しかし、だからといって同じ会社で働き続けることが、時代遅れというわけではない。安定した雇用や退職金など、その強みも依然として多くあるはずだ。また転職がいつでも成功するとは限らない。転職を繰り返すだけで、物にならない場合もあるはずだ。だとすればやはり辛抱が足りなかったということになりかねない。

 いつの時代もどんな職業に就くかは、人生の一大事である。やはり「転職は慎重に」である。

田舎暮らしは楽園か

 あるテレビ局の番組に「○○の楽園」というのがある。還暦前後の夫妻が田舎に移住し、これまでの仕事とはまったく違う仕事に挑戦し、第2の人生を謳歌する姿を紹介するものだ。このテレビ局は、田舎暮らしを楽園のように取り上げるのが好きなようで、他の番組でも似たようなことが取り上げられている。


 私も時々見るが、正直なところ「眉唾ものだなあ」と思って見ている。そもそもこのような企画には、田舎はのんびりしていて、人々はお人好しで、何事にも寛容な優しい人たちのいるところ、という架空の前提が置かれているように思えてならない。

 私は兵庫県の山の中で生まれ育った。水田はすべて棚田である。村の中に平らなところはほとんどない。結婚前に妻を連れて帰ったのだが、風呂は五右衛門風呂、便所は納屋の一角という光景に、泣きそうになったそうである。村全体が貧しかった。

家族が触れようとしない一軒家

 私の生家から20メートルほどしか離れていない畑の一角に、戦時中、疎開していた人の小さな家がぽつんと一軒あった。私は終戦の3年後に生まれたが、物心ついた時には、その家にはもう誰も住んでいなかった。だがこの小さな家は、その後、建替えられて今も同じ場所にある。恐らく別荘代わりにして、時々利用しているのだろう。

 子どもの頃からどこかで不思議に思っていたのだが、この家のことが家族で話題になることが、ほとんどなかった。“疎開してきた人が住んでいた”という以外の情報は皆無だった。死んだ母からも何も聞かなかった。今はひとまわり上の義姉が住んでいるが、まったく話題になったことがない。ボールを投げれば届くほどの距離なのに、あまりにも不自然である。

 最近になって思うのは、一種の村八分状態に置かれていたのではないか、ということだ。

『国家の品格』の著者である藤原正彦氏が、あるエッセイの中で知り合いの若い百姓が詠んだ短歌を紹介している。それが次の歌だ。

「牛の肥えしことにも嫉妬する村人山深く貧しき村に吾が住む」

 高度成長時代の昭和40年代に詠まれたものだ。牛が肥えても、稲穂が実っても、田舎はすべてお見通しで、それが時には嫉妬の、時には蔑みの対象になるのだ。これは田舎だけではない。人は誰もが嫉妬渦巻く中で生きているのだ。

テレビ番組を見て感じる2つの疑問

 テレビで紹介されている移住家族を見ると、新たな土地でどんな仕事をするのかと言えば、パン工房、レストラン、宿、居酒屋等々の客商売が多い。当事者が高齢ということもあるのだろうが、週1回だけ宿泊できる宿とか、週2〜3日営業のパン屋さんとかが余裕のある働き方として紹介されている。テレビで紹介されるぐらいだから、商売は軌道に乗っているかに見える。村人とも和気藹々(わきあいあい)の映像が流される。

 だが私には、2つの根本的な疑問がある。

 第1は、どんなホテル・宿、パン屋、レストランでも、経営を成り立たせるために大変な苦労と努力をしている。それでも上手くいかないことが多いのが商売というものだ。それが商売の経験もない高齢者夫妻が、週1日の営業の宿や週2〜3日営業のパン屋をやって、本当に経営が成り立つのか。生活を維持するためには、無借金はもちろん、相当な蓄えが必要なはずだ。だがそんなことには、まったく言及がない。

 二十数年前に、私の友人夫妻が銀行を退職して信州でペンション経営を始めた。蓼科湖の近くだった。私も何度か行った。銀行員時代の友人などが来てくれて、最初のうちはなんとかなっていたようだが、数年で閉鎖することになった。最大の要因は、銀行からの借金でペンションを建てたこと、奥さんの身体がもたなくなってしまったことだ。自分で商売をやるというのは、そういうことなのだ。一方が身体を壊せば、それで終わってしまうのだ。

 第2は、見ず知らずの人間が都会からやってきて、いきなり始めた商売が上手くいったとして、そんな光景を村人はどう見るのか。嫉妬の塊になること間違いなしだ。

 そもそも転居して数年ぐらいで、田舎暮らしの是非など判断できないはずだ。その後、どうなったのか。テレビ局には、その後も追い続けてほしいものだ。

「村八分」を言い渡す自治会

 大分県宇佐市出身の男性は、母親の介護ためにUターン帰郷し、14戸の自治区に加入し、地域の行事への参加、市報の配布なども受けていた。ところが5年前の3月頃、農家向けの補助金に関する会議に呼ばれなかった理由を質問すると、区長が「口出しする権利はない」と激昂したという。そして、この男性が欠席した翌4月の集まりで、「自治区の構成員と認めず、今後は行事の連絡をせず、参加もさせない。市報も配布しない」という内容の決議をしたというのだ。この男性は「総毛立つような恐怖心を抱いた」というが、当然のことだろう。

 また、昨年(2017年)11月23日号の『週刊新潮』は、「移住天国の夢想家が落ちる『村八分』地獄」というタイトルで山梨県北杜市の事例を報じている。自治会に入らないとゴミ置き場すら使えず、車で数キロ先のゴミステーションまで運ぶというのだ。こんなことがいまだに罷り通っているのも、田舎の現実なのだ。

 もちろん自治会の側にも言い分があるだろう。田舎の自治会には、それなりの歴史もあり、人の繋がりもある。さまざまな行事などもある。この中に入っていくのは、簡単なことではない。

 昨年、母と兄の法事があり、久しぶりに帰郷した。午前中、最寄り駅からタクシーで生家に向かったのだが、途中で村人20人程が道路際や石垣の草刈りをしていた。私の郷里は柏原という村落だが、いくつかの班に区分されている。そのうちの1つだろうと思いながら通り過ぎた。法事も終わり、夕方、姪に車で駅まで送ってもらったのだが、草刈りをしていた人たちは、なんとまだ作業を続けていた。

 こういうことに全部付き合わなければ、村や班の一員として認められないのだ。これが田舎なのだ。余程の覚悟がないと無理である。

「田舎暮らしは慎重に。」
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54328
田舎は出て行くだけで入って来れない一方通行の社会です。
何らかの理由で都会に出れば、戻ってこれる機会は限られて来ます^^;

人は確実に減り続けるので経済が上向くわけないです。

鎖国時代の日本では総人口3000万人台で推移していました。
飢饉により人口が減ったと言うよりも、少子高齢化の進んだ江戸に、多産多死型の地方から人が集まり人口が調整されていました。

今の田舎は少子高齢化が進んでいるにも関わらず、都会に人を送り出しているので、ますます崩壊が加速しています。
どうやって地方活性化させるのか課題ですが、トランプのように関税をかけるのが一番の特効薬かも♬
薬と毒は紙一重ですが^^;

限界集落→崩壊集落、限界市町村→崩壊市町村 −デトロイト破綻が教えるTPPの悪影響−
篠原孝2013年08月20日 09:19
<丸太関税ゼロ(1951)、製材関税ゼロ(1964)で山村過疎化が広まる>
 民主党の経済連携PTで木材関係の関税ゼロが中山間地域の限界集落化の原因であることを指摘した。そして、その詳細を拙書「TPPはいらない!」(日本評論社)にまとめた。林業・山村の転落振りを概観すると次のようになる。

 1951年、GHQの掛け込み自由化(?)で丸太の関税はゼロとなった。政府は不燃建造物にするため公官庁はコンクリートにせよと奨励していた。5年後の1955年、生産量は4,279万㎥、輸入量は2,483㎥にすぎず、杉中丸太の価格は8,200円/㎥、木材の自給率は94.5%とほぼ自給していた。10年後の1965年、戦後の復興も進み、住宅需要が増大したものの、戦中に切り出し戦後慌てて植林した山は伐採期にはほど遠く、やむなく64年に輸入木材への外貨割当を廃止し製材も関税ゼロとなり、ほぼ自由化が完了した。生産量5,083㎥、輸入は4倍の2,016㎥に増えたが、自給率はまだ71.4%、杉中丸太価格も1万4,000円だった。

<脱兎のごとく押し寄せた関税ゼロの丸太・木材製品>
 その後、輸入量は一気に増え、80年には7,441万㎥と国内生産量3,456万㎥の2倍となった。しかし、好景気に支えられ新規住宅着工件数は伸び続け、杉中丸太価格は3万8,700円とはね上げ利、一時だけ山が賑わったかのように見えた。その後自給率は31.7%に低下した。(抜粋)
http://blogos.com/article/68486/
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