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2017年03月19日09:25

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アートとは何か(2)アール・ブリュット

既存の文化的な素養や美術の流通システムに、いわば「汚染」されていない、前述のアドルフ・ヴェルフリ等の、主に、自らの解放(もしくは自己充実)ためのアートを、フランスの画家、ジャン・デュビュッフェは、「アール・ブリュット(生の芸術)」と命名し、高く評価した。アウトサイダー・アートとは、その英訳である。
アール・ブリュット=アウトサイダー・アートの担い手たちは、いずれも、アートのアウトサイドに生きる人々、独学のアマチュア作家や幻視者、精神病者、知的障がい者等々である。昨今では、あたかも、精神病者や知的障がい者のアートが、イコール、アウトサイダー・アートであるかのような認識が定着し過ぎているような気も、しないではないが、本来はもう少し、幅広い概念である。彼らが、たとえ何者であれ、そのアート活動が、文字通り、自らが生きて行くために必要不可欠なものであるかどうか、その切実性が、そこでは問われているのである。
私が、初めて、アール・ブリュットのアーティストと出会ったのは、家からも近く、とても都会のど真ん中にあるとは思えないような、静寂な環境にある、原美術館でのことだった。原美術館は、個人(原さん)の邸宅を改装した、小さな現代アート専門美術館で、特に、その庭園に面したガラス張りのカフェテラスは、とても居心地がよく、今も昔も、頻繁に通っている。お茶して、優雅な気分になれる上に、様々なアートも観ることが出来るのだから、一石二鳥である。
そこで観たヘンリー・ダーガーの個展に、私は強い衝撃を受けたのである。
ヘンリー・ダーガーは、1892年、アメリカのシカゴに生まれ、母の死で、カトリック系の児童養護施設に預けられた。その後、父も死去し、天涯孤独の身となったヘンリーは、17歳の時、シカゴのカトリック系病院で雑役夫として働くようになり、それは彼が、膝の持病が悪化し、働けなくなった71歳の時まで、続いた。友人等もほとんどおらず、勤め先と下宿を往復するだけの日々。いつも、古新聞や雑誌を漁って、大量に下宿先に持ち帰る変人。それが、彼を知るごく少数の人達の、共通の認識だった。
そして、1973年に、81歳で死去。大家が、古新聞や雑誌にあふれ、ほぼゴミ屋敷状態のヘンリーの部屋を片づけようとして、彼が、文字通り、その生涯をかけて描き続けてきた、「非現実の王国」における、果てしない「正義」と「悪」との戦いを描いた、1万5千頁をこえる壮大な物語と、その物語のための数百枚の挿絵を発見したことで、ヘンリー・ダーガーは世に知られることになった。アドルフ・ヴェルフリ等と並ぶ、アール・ブリュットの「雄」の誕生である。
しかし、彼はそれらの絵を、自らの生きる証というか、ハッキリいえば、外の社会からの完全な自己逃避のために描いたのであって、それを他人の目に晒す気など、サラサラなかったことは、間違いない。
これはダーガーであれ、他の誰であれ、共通することだが、アール・ブリュットの作家たちは、元来、その作品を、もっぱら、自らのためだけに描いたのであって、他人に観られることを、もともと、想定していない。したがって、その作品には、進歩がなく、永遠に続く反復であることも多い。これが果たして、アートなのかという見方も、当然、あるだろう。
しかし、その自らのためだけに描いたアートが、私たちを強く感動させることも、また、事実なのだ。
少し、長くなったので、また、日を改めて、この続きを書くことにする。細切れで、どーも、スイマセン。




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