安土城址
先週金曜日の晩、高速バスを利用してやってきました。
安土城は、清州城、小牧山城、岐阜城に続いて、最後の信長公の居城となった場所です。
信長公が本能寺で横死した後、安土城も明智光秀の手に落ちますが、その光秀も山崎の戦いで秀吉に敗れます。
その後、本丸周辺を焼失しましたが、清州会議の後、二ノ丸を中心に織田秀信(三法師)の居城となりました。
出火の原因として、光秀の女婿でもある重臣明智秀満や信長の次男織田信雄による放火、夜盗らによる犯行など諸説有り、はっきりした事は分かっていないそう。
ところで安土駅周辺には町が有るものの、安土城周辺は田畑ばかりで、城下町らしきものは見当たりません。
これは、秀吉の甥で後に関白となった豊臣秀次が安土城を廃城とし、城下町を丸ごと南隣の近江八幡に引っ越したからだそう。
昨年彦根城に行った際、安土城に行く時間は無く、来年辺り(つまり今年)行けたらなぁ…と思っていたのでした。
駅から歩いて10分強で麓の入口に到着。
入場料は700円、すぐ裏から大手道の石段が始まります。
急なのは良いですが、段差が大きいので歩き易くはありません。
大手道脇には羽柴秀吉や前田利家らの館跡が有ります。
更に登り、分岐を右へ行くと二ノ丸、次いで本丸御殿跡、更に天主跡。
ここからは琵琶湖を望む事が出来ます。
正に「つはものどもがゆめのあと」というところでしょうか。
つはもの=兵ではなく天下人ですが。
仮に「本能寺の変」が無ければ、後に秀吉によって実現したように、信長公も本拠を大坂へ移していたかも…
ならば織田政権が続いたとしても、安土が首都となる事は無かったかもしれませんが、安土はどんな町になっていたろう…
今のところ、安土城の全域で発掘や調査が行われた訳ではなく、まだまだ長い年月が必要なようです。
一般に「お城」と言えばイメージするのは石垣の上に直下立つ天守閣ですが、こうしたタイプのお城は、安土城から福山城までの50年ほどの短期間に造られた物だとか。
そんな事を考えつつ、分岐へ戻り、先ほど来たのとは反対=右へ向かいます。
五重塔っぽい屋根が見えてきた(本当は三重塔)…と思えば、ここは�宛�寺(そうけんじ)跡。
安土城内に有った臨済宗の寺院です。
石段を下り、遊歩道を歩いて行くと先ほどの入口へ戻ります。
いや〜面白かった〜
さて、安土城もでも天主再建の計画が有るそう。
金色の最上階の下に、朱色の八角堂を持つというあの特徴的な姿…
これは是非とも実現させて欲しいものです。
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