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2016年07月17日18:35

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テレビを見れば。。。。part0093



 さてと、緊急連載「北方領土史」の第16弾。前回、来なくていいのにロシア軍が還ってきたってとこまでやった。今回は日付を追って「運命の1853年」前後を詳しくやります。それをまとめた年表は以下のとおり


1849年     ゲンナジー・ネヴェリスコイ清帝国領沿海州に侵攻、途上北樺太に無断上陸する。

1850年08月13日 ネヴェリスコイ、清帝国領沿海州にニコラエフスク哨所を勝手に設営し軍事占領。

1852年     ネヴェリスコイ、部下のボシニャークを北樺太偵察に派遣。

1853年04月   西シベリア総督のムラビヨフ、ネヴェリスコイに樺太侵攻を下令。

1853年05月   ネヴェリスコイに樺太上陸、再び北樺太北端クエグト岬に国旗を掲げ、勝手に領有を宣言。

1853年07月08日 ペリー浦賀に来航。

1853年07月17日 ペリー浦賀から退去。

1853年07月27日 征夷大将軍徳川家慶死去。

1853年08月07日 徳川斉昭幕府の命にて海防の議に参与。

1853年08月20日 ロシア軍樺太久春内に軍事侵攻。

1853年08月22日 プチャーチン長崎に来航。

1853年10月02日 ネヴェリスコイ指揮下のロシア軍樺太久春古丹に軍事侵攻。

1853年11月23日 プチャーチン長崎から退去。

1854年01月03日 プチャーチン長崎に再来。

1854年02月05日 プチャーチン長崎退去。

1854年02月11日 ペリー浦賀に再来。

1854年03月08日 ペリー横浜で開国交渉開始。

1854年03月28日 クリミア戦争開戦

1854年03月31日 日米和親条約締結、日本開国する。

1854年04月18日 ペリー下田に入港。

1854年04月20日 プチャーチン長崎に3たび来航。

1854年04月25日 プチャーチン樺太割譲を要求して長崎を追い出される。

1854年04月24日 吉田松陰密航未遂事件

1854年05月05日 幕府、下田、函館の開港を布告。

1854年05月17日 ペリー函館に入港。

1854年06月07日 ペリー下田に帰来し翌日より追加条約締結交渉開始。

1854年06月13日 ロシア軍樺太久春古丹から撤退。

1854年06月17日 幕府、米国と和親条約附録を協定を締結。(下田条約)

1854年06月26日 ペリー下田退去。


知ってた?「黒船来航」と「ロシア軍の対日軍事侵攻」が「同時並列的」に起こっていたことを?


ふーーーー(-_-;)、つくづく思うよ「ドンだけ腐れてんだよこの国の教師と役人わ(激怒)!」ってさ。つくづく思う。それで平気な「親達」も含めてね(怒)。そんなに「子供の右目」抉り取るの楽しい?「黒船来航」と「ロシア軍の対日軍事侵攻」が「同時並列的」に起こっていた事を理解しなければ「幕末・開国史」なんて理解できるわけないじゃん(激怒)!ふーーーー(-_-;)、まったくもって頭にくるが「根本原因」を取り除かない限りこれは永遠に続く。わかってるよ、そのことは。いずれ必ず「トドメ」を刺す。だから今は話をもとに戻そう。

 幸いだったのは「クリミア戦争」が起こってくれたことだろう。年表には書かなかったがロシアは1854年初頭沿海州に2万の兵力を集結させて樺太へ全面侵攻直前だった。当時の樺太の人口はアイヌ人を主体に女子供合わせて全部で15000人(内和人は4000人)ぐらいだったから来られたらひとたまりもなかった。兵力なんて松前藩のサボタージュで10人いなかった(怒)。どんな話だよ(-_-;)。「クリミア戦争」戦死者には悪いけど日本にとっては「神風」だった。2万の樺太侵攻軍は解体されクリミア遠征軍に参加すべく転進して行った。ちなみに1854年06月13日のロシア軍樺太久春古丹から撤退の時点で樺太にはロシア人民間人は0だった。北部に再侵攻用の拠点が設けられ100人弱の軍人が不法占拠で居座っているだけだった。つまり


樺太全土が紛れもなく「日本固有の領土」であり「完全主権下」にあった


のだ。あとは後詰め(援軍)を出して居座っている不法占拠者を追い出せばいいだけだった。阿部老中始め「幕臣・実務派」は着々とその準備を進めていった。再び、村垣範正海防掛・蝦夷地掛を中心とする調査隊を送り込み、翌1855年をもって「迚も警衛行届候筈無之(国境警備が全く行われていなかった)」していた松前藩を減封転封させ、蝦夷地全体を幕府直轄地として、ようやく33年ぶりに「北方警備」を再開した。4月には秋田藩兵500が樺太に到着。全てがうまく回り始めたはずだった。が、しかし、ここで「大ポカ」をしでかす「大馬鹿者」を出てしまった。


その男の名前は「川路聖謨」。


勝や坂本のような「極悪人」でも、西郷や木戸のような「売国奴」でも、吉田や高杉のような「狂人」でもなかったが、ただただひたすら途轍もなく「バカ」だった(ToT)。ふーーーー(-_-;)、こいつの事語るの気おも(ToT)。さりとて避けられる話じゃねーーしなーー。ま、その話はまた次回語ろう。とほほ。



おまけにみくしー検索かけてみました。


「黒船来航」


日記 検索 (5件)ひっと。

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