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2015年09月22日21:26

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言志四録より「天につかえる心」


天につかえる心
すべての事をするには、天に仕える心をもつことが必要でしょう。人に示す気持ちがあってはいけません。

凡そ事を作すには、須らく天に事(つか)うるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず。
(言志録第3条)

<解説>
西郷隆盛の南洲遺訓の中に、
「人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」
とあるのは、あるいはこの言葉からヒントを得たのではなかろうか。「天に事うる」というのを、「天を相手にする」といったところはいっそうわかり易いと思う。
人にはわからないということでも、天の神さまあるいは仏さまはちゃんと見ておられるのだということは、すべての宗教の精髄である。

徳と位
君子とは人として立派な徳のある人を指していう言葉である。昔は徳のある人はその徳に応じた立派な社会的地位があった。その人徳の有無・高低によって、地位の尊卑・高下が定まっていたものである。しかし後世になってから、徳がなくても高い位につく者が出て来たため、君子の中にも地位が高いというだけで君子と称する者が出て来た。
今日の君子諸君よ、それだけの実を具えていないのに、君子と名付けられることの恥を知れ。

君子とは有徳の称なり。其の徳有れば、則ち位有り。徳の高下を視て、位の崇卑を為す。淑世に及んで其の徳無くして、 其の位に居る者有れば、則ち君子も亦遂に専ら在位に就いて之を称する者あり。今の君子、盍ぞ虚名を冒すの恥じたるを知らざる。 (言志録第9条 )

<解説>
今も結構肩書きがはばをきかす世の中である。
昔、鎮西八郎為朝が、官位を授けられようとした時、「我は鎮西八郎にして可なり」といった意気は学ぶべきであろう。
一斉先生、この世にあれば、筆者にも「恥を知れ」と一喝されることであろう。

また、バーナード=ショウは次のように言った。
中才は肩書に現れ、
大才は肩書を邪魔にし、
小才は肩書を汚す。

以上、解説は、川上正光「言志四録」によりました。


「言志四録」とは、『言志録』、『言志後録』、『言志晩録』、『言志耋(てつ)録』の4書の総称。
佐藤一斉「言志四録」といえば、志を立て、自分の運命を切り開き、世のため人のために尽くさんとする“指導者のためのバイブル”といわれます。
坂本龍馬、吉田松陰などの明治維新の牽引者に愛読者多く、とくに西郷隆盛は座右の書として、「言志四録」をくり返し、くり返しこれを読み、とくにその中から心の琴線に触れた101条を抜き書きして『西郷南洲遺訓』として座右に置いていたといわれます。



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