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2026年10月12日16:30

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中村紘子

芸能人・著名人のトピック

中村紘子 
最後に弾いたピアノには、本人のサインが残っている
1965年のショパン国際ピアノコンクールで第4位に入った
演奏会は国内外で3800回を超えた
『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞を受けた
2016年7月26日に世を去った、中村紘子の72年

【生い立ちと歩み】
1944年 7月25日、山梨県の塩山町に生まれる。本名は福田紘子
1960年 東京フィルの演奏会でソリストとしてデビューする
1965年 第7回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入る
1974年 9月、芥川賞作家の庄司薫と結婚する
1989年 『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞
2014年 大腸がんが見つかる
2016年 7月26日、死去。72歳

【桐朋の第1期生】
1. 4歳から習い始めた
1944年7月25日、中村紘子は疎開先の山梨県塩山町に生まれ、東京の世田谷で育つ
3歳半でピアノを始め、桐朋学園の「子供のための音楽教室」の第1期生になった
4歳からは井口愛子に師事した
同期には小澤征爾、堤剛、江戸京子がいた

【全額奨学金】
2. 高校を中退して渡米した
小学生のときも中学生のときも、全日本学生音楽コンクールで全国1位に入った
1959年、日本音楽コンクールで第1位特賞を受ける
翌年、NHK交響楽団が初めて行った世界一周公演のソリストに抜擢された
その後、桐朋女子高の音楽科をやめ、日本人で初めて全額の奨学金を得てジュリアード音楽院へ渡った

【ショパン・コンクール】
3. 最年少者賞も受けた
1965年、第7回ショパン国際ピアノコンクールで第4位に入る
あわせて最年少者賞を受けた
このときの1位はマルタ・アルゲリッチだった
1955年の田中希代子に続く、10年ぶり2人目の日本人入賞だった

【小さな手】
4. 体格には恵まれていなかった
小柄で手も小さめで、ピアニスト向きの体格ではなかった
そこで体重の使い方や奏法を工夫し、外国の奏者に負けない音量を引き出した
力のある演奏を続けるため、筋力トレーニングを欠かさなかった

【夫との出会い】
5. 写真を見て確信した
演奏旅行で家を空けることが多く、飼っていた猫を芥川賞作家の庄司薫が預かるようになる
そこから交際が始まり、1974年9月に結婚した
もとは庄司の小説『赤頭巾ちゃん気をつけて』に自分の名前が出てくると聞いて本を開いたという
「カバーについていた小さな写真を眺めながら、あ、私この人と結婚するな、って確信しちゃった」と著書に書いている

【演奏会3800回】
6. 日本のピアニストの代名詞になった
国内外のオーケストラと共演し、世界各国でリサイタルを開いた
その数は3800回を超えた
1968年にはソニー・レコードの専属第1号になり、数多くの録音を残した

【コンクールの審査員】
7. 若い人を育てる側に回った
1982年からチャイコフスキー・コンクールやショパン・コンクールの審査員を務める
日本では浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を長く続けた
創立から10年たらずで、国際ピアノコンクール連盟に加盟させている

【書く仕事】
8. ノンフィクションの賞を受けた
1989年、『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞を受ける
『ピアニストという蛮族がいる』『コンクールでお会いしましょう』などの著書も出した
2008年には紫綬褒章を受けた

【母校での一幕】
9. 演奏を中断して叱った
1999年ごろ、母校の慶應義塾中等部に招かれてリサイタルを開く
弾き始めてもおしゃべりをやめない生徒たちに、演奏を止めて静かにしなさいと言った
生徒は静かになったが、保護者のおしゃべりはやまなかった
あとで校長から「よくぞ言ってくださいました」と声をかけられ、それは校長の仕事だろうと慨嘆したという

【大腸がん】
10. 2度休んで2度戻った
2014年、腸閉塞の手術を受けた際に大腸がんが見つかる
2015年3月に復帰し、同年には東京交響楽団と36年連続37回目のニューイヤーコンサートに出た
だが同年8月、治療に専念するため再び演奏活動を休んだ

【洲本のピアノ】
11. 開演前にサインを頼まれた
2016年4月、東京交響楽団とモーツァルトのピアノ協奏曲第24番を共演し、舞台に戻る
5月8日、兵庫県洲本市のホールで開いたリサイタルが、人前での最後の演奏になった
開演の前、主催者側からのたっての希望で、ホールのピアノにサインをした

【最期】
12. 誕生日の翌日だった
2016年7月26日の午後10時25分、大腸がんのため自宅で亡くなった
72歳だった
誕生日を夫と自宅で祝った、その翌日のことだった
夫の庄司薫は「誕生日(7月25日)をむかえる日も、このところみつけた、モーツァルトからラフマニノフまで、音色に新しい輝きを与える奏法を試すのだといって、興奮していました」とコメントを出した
9月12日、サントリーホールの大ホールでお別れの会が開かれ、関係者およそ850人が集まった
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