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2026年10月10日08:29

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2026年10月10日(土曜日)

『古事記と日本書紀』

『古事記』と『日本書紀』は、日本の歴史の本です。
朝廷は八世紀の初めに、皇室や貴族の家に古くから伝わる神話や記録を集め、天皇を中心にまとめたのがこの2冊なのですが、『日本書紀』の本文は漢文で、『古事記』の本文は漢文を基本に日本語の表現も交えて書かれていて、この中に引用されている和歌は、漢字を使って日本語の発音を表しているようです。
そのまま読むのはとても難しく、書き直したものを読むしかありません。

『古事記』は、28歳の天才・稗田阿礼(ひえだのあれ)を語らずして、話は進みません。
彼は、どのようなものでも一見しただけですぐに節をつけて読み上げることができ、一度聞いたことは忘れなかったといいます。
この才能を活かし、『帝記(ていき)』(皇室の系図)と『旧辞(きゅうじ)』(古い神話や伝承)を暗記し、それを太安万侶(おおのやすまろ)が記録したのが『古事記』です。
奈良市此瀬町で、太安万侶の墓が見つかり、話題になったことがあります。

天武天皇が、12人の皇族や貴族に、詳しく記録をとることを命じ、後には18人の豪族に記録を出させたり、朝鮮や中国の歴史書も調べて720年に30巻にもなる歴史書が出来ました。
これが『日本書紀』です。
仁徳天皇は、143歳まで生きたと言われています。
100歳を超えた天皇は12人もおられたとか。
約1200年間には、『帝記』で伝えられていた天皇しかいません。だからかもしれません。一人の天皇の年齢が引き延ばされて、百数十年も生きた天皇が十人以上も出来たのでしょう。

中国の『宋書』の記録と一致するのが、大阪の河内にある巨大古墳群(古市古墳群)を造ったとされる王朝は、どうやら実在したようだ、ということです。
この古墳が誰のものなのかは確定されていませんが、「河内王朝」とも、“〜ワケ(別)”という名称を持つ天皇や皇族が多いことから「ワケ王朝」ともいわれています。
でも、仁徳天皇が143歳まで生きたと言われていることを、信じてみたくなりませんか。
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