不老不死というと、一昔前までは「叶ったら嬉しいファンタジーな願い」の一つであるという共通認識があったように思う。不老不死というのは、人類の古来よりの夢である。
ドラゴンボール原作でもナメック星でベジータやフリーザが妙に不老不死になりたがっている。
しかし現代では不老不死ゆえの苦しみを描かれることが多くなり、「不老不死って良くないよね」という認識に切り替わった。ドラゴンボールでも確かそういう描写があった気がする。
不老不死ゆえの苦しみというと、孤独だとか、何も身動き取れない状況で放置とか、永遠に焼かれたり溺れ続けたりして死にたくても死ねないとかが描写される。ジョジョだとカーズ、あとは不老不死とはちょっと違うが似たようなのがディアボロとかマジェント・マジェントである。あとは亜人みたいに実験体として多様な殺され方をするとか、土管に閉じ込められて放置されるとか。アンデラだったらアンディとファンで不死と不老それぞれの孤独が描かれている。
そこで思った。不老不死というのは死ねないから苦しいのであって、死ねるなら苦しくないのではないかと。
つまり自分の任意のタイミングで死ねるようにするのだ。たとえば「もうこれで死んでもいい」と強く意識するとスッと死ぬとか、自殺だったら死ねるとか、あるいは不老不死性を消せるとかなんでもいい。
そうなったら、いつでも死ねるのであればもうちょっとだけ生きてみるかとなりそうだと思った。自殺を考えるほど精神的に追い詰められてその一歩手前まで行った人は、手段を考えた上で、いつでも死ねるからもうちょっと生きてみようと思うらしいので、それと似たようなものである。いつでも死ねるならもう少し不老不死を楽しんでみてもいいと思えるかもしれない。
そうしてずるずると生きて、人類の歴史の観測者となるのだ。
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