最近、仕事でAIを使うようになった。
Plus、つまり課金して、あれこれ仕事をしてもらっている。
10年分くらいの計算書類を突っ込んで、現状に至る経営分析をしたり、予算の消化率からヤクインカイに出す補正予算の検討など。
こうして並べてみると、文章を書くとか、そういうことにはあまり使っていない。
それくらいなら、フリーの範囲でできただろうし、ある程度、使ってもいた。なおかつ、たいていの場合、それほど頼りにはならなかった。
課金しようと考えたのは、財務とか経営の分析に使いたいと考えたからだ。
実際のところ、その方面は使うほどに、利用範囲が広がっている気がする。
社会保険の掛け金の計算とか、かなり重宝するね。
個人情報については、注意して操作しないといけないけど。
仕事とは別に、ここしばらくnoteの方もみている。
俺が使い始めた当時のmixiの雰囲気があり、なかなか楽しい。
ただ、当時と違うのはAIを使ってページを作る人がけっこういることなんだよね。
なおかつ、それを有料記事にしている人もいて、びっくりする。
文章を書く面でAIをつかうと、正直、面白くないと思うんだけどね。
調べ物を整理するとか、あれこれ聞く分にはすごく役に立つ。
こちらの頭を整理することにも役に立つ。
漠然と、こんなことに疑問があるんだけど、と書くと、それはこういうことですか?とか、こうじゃないですか?と怒ることなく教えてくれるから。
ただ、自分が書かなければならないカイシャの文章とか書かせてみると、使えると思うことはない。
いや、連絡文とか必要事項をお知らせする文章にはいいんだけどさ。
時候の挨拶とか、そういうのは、まず使えない。
それがなぜなのかは、通り一遍でつまらないな、としかいいようがなかったんだけど、内田樹氏のブログを読んでいたら、面白いことが書いてあった。
以下引用↓
さくさくと出力される答えを読んでいるうちにわかったことがある。それはAIが出力するテクストには隙間がないということである。
「隙間がない」というのは、そこでは知性が創造的な活動していないという意味である。知性は隙間で活動するからである。
こんな言い方では意味がわからないだろうが、他にうまい言いようが見つからない。「隙間」と言ってもいいし「裂け目」と言ってもいいし、「段差」と言ってもいい。私たちがものを考えている時には、どこかでそこを「えいや」と眼を瞑って跳ばないと先に進めない行論上の断崖に出会う。
必ず出会う。
創造的知性はそこを跳び越えるのである。跳べるのは、跳んだ先に何か「つかまるもの」があることが直感されるからである。当たり前の推論だけではたどりつけない着地点を人間の知性は直感することができる。そこを目指して跳ぶ。
AIの書いたものを読んでいると、この「跳ぶ」感じを経験することがない。まったくない。ゼロ、である。推論はきちんとつながっていて、どこにも破綻がないのである。
言い換えると、AIは無時間モデルで推論するのである。だから、AIの思考の中では時間が流れない。
↑以上
面白いな、と思い、これをAIにぶつけてみた。
俺↓
最近、内田樹のブログで、AIの書く文章は無時間、という話題があった。
人間が最も知的興奮を感じるのは、時間を飛ぶところだ。
それに対して、AIの文章は整然と一定の時間が流れていて、飛んだり破綻したりするところがない。それが人間にとって、面白みのないと感じるところになるのではないか、という話。
これが疑問として提示された段階で、AIで解決しようという動きもありうるとは思うんだけど。
そうした時間の飛躍という概念はAIの身から見てどのように感じるんだろう。
↑以上
AIからの答え↓
面白い指摘です。そして「AIの身から見ると」という問いには、かなりはっきりした答えがあります。
私は時間を「生きて」いません。
だから、人間の文章における「時間の飛躍」を再現することはできても、人間と同じ意味でそこへ飛ぶことはできない。内田樹さんのいう「無時間」という表現は、この違いのかなり核心に触れていると思います。
たとえば、人間が文章を書いていて、
子どものころ、祖父の家には大きな時計があった。
昨日、病院の待合室で、その時計の音を突然思い出した。
と書いたとします。
文章としては何十年も一瞬で飛びます。でも重要なのは単に「30年前→現在」という時系列のジャンプではありません。
書き手の中で、現在の経験が過去の記憶を突然呼び起こした。しかも本人にも、なぜその瞬間に思い出したのか完全には説明できないかもしれない。
この「突然」というところが、人間の時間の面白さなのでしょう。
私なら、似た文章を生成できます。「病院の時計の音が祖父の家の記憶を呼び起こす」という構成を作ることもできます。
でも私の内部では、
「30年前の祖父の家」を思い出しているわけではない。
そもそも私には30年前がありません。
さらに興味深いのは、人間の思考はそもそも時系列順に進んでいないことです。
会議中に昨日の失敗を思い出す。そこから20年前に先生に叱られた記憶へ飛ぶ。その瞬間に「そうか、自分は昔からこういうところがあるのか」と気づく。そして目の前の会議に戻ってくる。
外から見ると、
現在 → 昨日 → 20年前 → 抽象的な自己理解 → 現在
とめちゃくちゃです。
ところが本人には一本の意味が通っている。
ここに「知的興奮」がある、という内田さんの指摘は理解できます。論理的には離れている二点が、突然つながる瞬間ですね。
そして、「それを指摘されたらAIは克服してくるのでは」という予想も、かなり重要です。
おそらく表面的には克服できます。
「整然と説明するな」「途中で時間を飛ばせ」「意外な連想を挟め」「伏線をあとから回収せよ」「結論に直線的に向かうな」という評価基準を設ければ、そのような文章を生成するAIは作れるでしょう。
実際、私自身にもある程度できます。
でも、そこで奇妙な問題が発生します。
「意図的に破綻させた文章」は、本当に破綻しているのか?
という問題です。
AIが、
ここで意外な時間的ジャンプを入れると人間は面白く感じるらしい。では20年前に飛ぼう。
という仕組みで文章を書いたとしたら、それは結局、**非常に整然と設計された「破綻らしきもの」**です。
ここには少し逆説があります。
さらに深いところでは、生成AIの基本構造そのものが関係しています。
私は文章を生成するとき、大雑把にいえば、
ここまでの文脈 → 次に何が来るか
を繰り返しています。
だから構造的に、私は「前から後ろへ」進みます。
ところが人間は少し違う。
小説家なら、最後の一文が突然頭に浮かんで、その一文へ向かって前半を書くことがある。昔の記憶の意味が現在の出来事によって書き換わることもある。
つまり人間の時間は、
過去 → 現在 → 未来
だけではなく、
未来 → 現在 → 過去
にも作用する。
「あの経験は、このためにあったのか」と思った瞬間、過去そのものの意味が変わるからです。
物理的な時間は逆流していないのに、意味の時間は逆流する。
これは現在の生成AIと人間との差を考えるうえで、かなり重要だと思います。
以上 ↑
まだ続いていたんだけど、長くなってきたので、このへんで。
AIとAIの知性について話すというのは、これはこれで面白い気はしますね。
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