本日の世見 2026年9月16日(水曜日)
『金印』
歴史に名を残す人というのは、いったいどなたが選んでおられるのでしょうか。
1784年の2月のことです。
福岡市の志賀島に住む百姓の甚兵衛さんも、どなたかに選ばれて歴史に名を残しました。
この甚兵衛さんは、田んぼの溝を修理していた時、水の中に光っているものを見つけました。
拾い上げてみると、なんということでしょう、それが「金印」だったのです。
この金印には、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」という五文字が彫られていました。
江戸時代の学者たちは、漢の時代の歴史本を調べ、『後漢書』の中に謎を解くカギがあることがわかりました。
「倭(わ)は 韓の東南大海の中にあり
山島(さんとう)よりて 居(きょ)をなす
およそ百余国あり
使駅(しえき) 漢に通ずる者
三十余国なり」
この金印、実は、倭の奴(な)という国から来た使者に、中国の皇帝「光武帝」が与えた立派な印というのですから、それを掘り当てた甚兵衛さんは、やはり選ばれた人なのです。
大昔、福岡市辺りは、那の津(なのつ)と呼んでいました。
私、この志賀島に行った時、金印を手に入れました(勿論、本物ではありません)が、何故だか懐かしく思ってしまいました(笑)。
福岡市で、この奴国が栄えていた時代の集落や墓地の遺跡も発掘されています。
この金印ですが、一辺2.3センチ、高さ0.88センチ、握りの高さは1.31センチ、重さは108.73グラム、体積6.06立方センチです。
削ることができないので、金の純度は正確にはわかりませんが、もしも純金だったら、いくらになりますか。
でも、この金印、単なる金の塊りではありません。
歴史的な価値のある国宝です。
この金印を掘り当てた甚兵衛さんは、福岡藩から褒美として、白銀(銀子)5枚が直接手渡されたという記録があります。
また民間の伝承として、若干の米をもらったという逸話も語られています。
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