喜多 恒介
悲しさが、込み上げてきています。
うちのばあちゃんが漬物をつくって売るのが、違法になった。
うちのひいじいちゃんが道行く人や子ども達を、家に泊めてご飯を食べさせるのも違法になった。
先祖が好意でやってきたことが、どんどん「違法」になってきています。
もちろん、衛生とか犯罪とかを抑止する意味では、資格や届け出が必要なのも、わかる。
しかし、そのハードルがあまりにも高すぎるのではないでしょうか。
今僕は自分の家を民泊申請をしているのだけど、もう気絶しそうです。
行政手続きや、消防設備や、管理業者などで、延々と時間とお金を吸い取られている。
もう100万円くらい払って、何ヶ月も手続きして、まだ通らない。漬物販売だって、そうだ。
金儲けをしたいわけじゃない。
いいことしたいだけなのに、何でこんなに、手続きにお金や時間が吸い取られるんだ?
世の中、おかしくなってやしないか?
リスクを潰すために、規制や資格で縛って、人の善意や活力を奪ってやしないか?
社会保険料だって、そうだ。
老後や医療のために、なんで年収の何十%も取られなくてはいけないのだ?
しかも、若くてお金が無い時期に。
若い夫婦が奪われる社会保険料を子どもに使えたら、どれだけ家計が助かることか。
社会を構成する、根本的な思想が、間違ってやいないか?
僕らは破滅へと向かってやしないか?
少子化はその現れではないか?
日本人は、幸せの原点を、忘れていないか?
今僕がいるアフリカでは、人々はどんなに貧しくても、「家族や友達がいれば幸せ」「自分の仕事に誇りを持っていて幸せ」と言っている。
一方、家族も友達も、仕事の誇りも、失っているのが日本という国だ。
便利さや安全と引き換えに、私たちは大切なものを失いかけている。
日本でちいかわが流行るのも、当然の帰結だ。
ちいかわの世界では、まさに家族や友達がいる幸せと、仕事の誇りを体現している。
ちいかわ達は管理され、資格で縛られ、時々理不尽に殺される環境かもしれないけど、日々を楽しく精一杯生きている。
そういうものへの日本人の共感が、ちいかわに投影されてはいないだろうか。
冒頭に戻るが、僕らはきっと、自分で漬けた漬物を皆に分けてあげたいし、道行く人や友達を家に泊めてあげたいし、ご飯も食べさせてあげたい。
それで笑顔やありがとうをもらいたいし、時にお金でお礼をもらえたら、それは最高に嬉しい。
そういう「小さくて温かい営み」をただただやりたいだけなのに、どうしてそれを法律や資格で規制し、高いハードルを課すのだろうか?
ほんとにそれは世の中のためなのだろうか。
「小さくて温かい営み」が「でかくて冷たい作業」になってしまわないだろうか。
今の法規制は、でかくて冷たい作業に合わせて、作られすぎてはいないか。
AIを活用することで、小さくて温かい営みにも対応した、軽い規制やハードルの低い資格を、つくれはしないだろうか。
近代国家と行政のあり方は、AIの出現により、大きく曲がり角を迎えているはずだ。
そんなことを、つよくつよく思いました。
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