村上靖彦著『生き延びるための会話』を読んだ。
コスパのよい子育て?という問題提起から始まる。
最近、子育ての本でエビデンスを前面に出した本が多いという。
それというのも、間違ったことをしたくないから、最短距離で正解にたどりつきたいというニーズがあることによるという。
一瞬、へぇなるほどと思いがちだけど、著者の問いはさらに深くなる。
子育てにエビデンスによる正解を求める、コスパ指向の子育てというけど、それは本当にコスパを求めてのことなの?
それは実は、相談できる相手がいないから、エビデンスに頼ろうとするんじゃないの?って。
子育てに限ることではない。
生産効率とか、無駄を省くという視点から、仕事中におしゃべりするなんて、あまりいい顔はされない。
無駄が許されないから、正解の根拠となるエビデンスを求めたくなるんじゃないの?でも、そもそも結果に至る道はひとつではなく、さまざまな無駄打ちの中でみつかってくるもの。
そこを否定して、最短距離しか許されないってあたりに、息苦しさが出てくるんじゃないのかなぁ、って。
読みながら、いろいろ考えさせられた。
それは俺自身が、あまり無駄口を利かないようになっているからだ。
昔はシャインさんと本とか映画の話も、相手の迷惑も顧みず、つらつらとしていたものなんだけどね。
俺の立場で、仕事に関係ない話をされたら、相手も困るかなぁ、と極力そういうことは言わないようになった。
会話するのも、なるべく具体的な仕事と結びつけるよう心掛けてね。
ただ、そうするともともとおしゃべりでもない俺のこと、シャインさんとの会話はどんどん減少傾向にある。
まぁ俺も歳をとってるから、若手シャインさんとの距離は広がるばかりという面もある。
思えば何年か前、シャインさんたちとクリスマスの会食をしているとき、急に会話する気力がなえたんだよなぁ。
具体的なきっかけがあったわけではない。
ただなんか、俺が話すことって、結局気を使って聞いてもらっているだけのことなんだろうなぁ、なんて思うと、自分の好きなことをしゃべろうという気がなくなったんだよね。
せっかくの懇親会なんだから、シャインさんたち同士で好きなことしゃべりな、俺はにこにこして聞いてるからって。
いじけたわけでもなんでもなく、それが大人の節度のような気がしたんだよね。
ただ、それから数年たってみて、うーん、難しいところだな。
もっと、普段から会話してシャインさんひとりひとりと距離を縮めた方がいいような気もしないではない。
いや、別に一切の会話を絶ったわけじゃないから、そこまで距離が遠ざかったというものでもないつもりだけど。
無駄な会話はすべきではない、と律していた気はするから、いや無駄話にも意味はあるんですよ、そこから信頼関係ができていくんだから、と本書を読んで感じるところはあってね。
そのあたり、もう少し無駄を恐れず、会話していった方がいいな、と思った次第。
年齢とともに、ポジションとか距離感は開いていくわけだからね。
なかなか考えさせらる本だった。
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