mixiユーザー(id:9783394)

2026年07月24日07:15

49 view

クルマ0542 デスモドロモロジー(BIGNAN)

1888年にフランス・バリ南西のベルサイユで生を受けたJacques Bignan(ジャック・ビニャン)は、1911年から第一次世界大戦が始まる1914年まで自動車用の機械部品を製造販売していました。
大戦中は砲弾などの軍需品を製造してフランス軍に貢献し、1918年に平和が戻ってくるとÉtablissements Industriels J. Bignan(J.ビニャン工業)を創業し、今までの事業を一歩進めて自動車そのものの生産を始めます。場所は自動車産業が盛んだったパリのセーヌ川沿いのCourbevoie(クールブヴォア)地区でした。

すぐに数モデルまとめ上げ、1919年のパリ自動車ショー(10月9日〜10月19日)で発表したのですが、中で最も来場者の興味を引いたのは132Cというモデルでした。

https://share.google/uNsXeoPLpoXkpncyw

https://share.google/kjy0UtP7NEFebdf72

水冷直列4気筒SV2949cc(50馬力)エンジンを搭載するホイールベース2860mmのかなり大きな132Cは、短いボートテールを持つ魅力的なクルマで最高速度100km/hが保証されていました。

ラジエターマスコットはコウノトリ(Cigogne=シゴーニュ)です。

https://share.google/mmkYNZQTFXLaDtUJM

バッジにも使われています。

https://share.google/mtgFO2cFelACLOQuq

コウノトリはビニャン車のアイデンティティでした。下のポスターには「翼」を意味するDes Ailes(デゼル)と表記されています。

https://share.google/N8euAGtqMeMlR7LMb

1922年、ビニャンは、高名なエンジン設計者Némorin Causan(ネモラン・コーザン)とエンジニアAlbert Guyot(アルベール・ギヨ)が共働でDesmodromology(デスモドロモロジー)を採用したエンジンを製作しました。
特殊なカム構造(斜めディスク円形カム)によるバルブ開閉機構は特許出願されています(下記はその図面です)。

https://share.google/Sj4kMgkyMrJsfNtEU

日本語で「デスモドロミック・バルブ機構」と訳されるDesmodromologyは、エンジンの吸排気バルブの閉鎖をスプリングではなくカムで行う方式で、発明は古いのですが、1889年にダイムラー・ベンツによっ初めて特許が取得されました。
現代ではF1やスーパーバイクなどの高性能エンジンで見られる高度な技術で、超高回転域でのバルブサージング(バルブの上下動が速すぎてスプリングではバルブ閉鎖が間に合わない現象)を防止するために、カムで確実に(強制的に)バルブを開閉させるのです。

https://share.google/dgo5EJf57D2hUsv0L

1908年にフランスのAriès(アリエス)のレース用エンジンに使われたことがありましたが、バルブサージングを起こすほど高回転ではなかった当時のエンジンにはオーバークォリティでした。
ビニャンでは水冷直列4気筒1970ccエンジン(50馬力)を搭載した11CVのレース用車輌にこのバルブ機構が採用されたのですが、おそらく必要に迫られてではなく色々な技術的試行錯誤の結果だと思われます。気筒あたり4バルブ(本稿0143)やツインプラグなども試していますから。

11CVレーサーのエンジンには他にも色々と手が加えられていたのは確実で、ノーマルより20馬力もパワフルな70馬力を発揮しました。そして1923年の第1回ル・マン24時間耐久レースに出場した2台はいずれも好成績で完走しています。ゼッケン23のRaymond de Tornaco(レイモンド・ド・トルナコ)男爵/Paul Gros(ポール・グロス)組が総合3位(2リットル・クラス1位)に、ゼッケン24のPhilippe de Marne(フィリップ・ド・マルヌ)/Jean Martin(ジャン・マルタン)組が総合6位(2リットル・クラス2位)になりました。

https://share.google/AuPaVqq8M04mYQ52f

また、1924年の第3回モンテカルロ・ラリーでは、ベルギーのJacques Edouard Ledure(ジャック・エドゥアール・ルドゥール)が優勝しています。

しかし、ネモラン・コーザン設計のビニャンのデスモドロミック・バルブ機構は、構造が極めて複雑で製造コストが高く、メンテナンスも煩雑だったため、市販車に使われることはありませんでした。

1926年、ビニャンは経営破綻し、Société La Cigogne(シゴーニュ社、一時的に設立された財政支援団体)が再建を模索、 EHP(本稿0529)のHenry Précloux(アンリ・プレクルー) に経営を任せます(ジャック・ビニャンは社を追われました)。
しかし、EHP自体が不安定だった(1929年に倒産)ためにアンリ・プレクルーはビニャンどころではなくなり、シゴーニュ社はビニャンを持ちきれませんでした。そして何度か経営母体が替わった末に、1928年に工具や部品を製造する MOP(Mécanique-Outillage-Pièces détachés=メカニック-ウテイアージュ-ピエス デタシェ)という機械工具会社が最終的なオーナーになります。

MOPは1928年10月のパリ自動車ショーでMOP-Bignan(MOP-ビニャン)として11CV(2リットル)と14CV(2.5リットル)の2モデルを発表しましたが、1931年に倒産しました。
5 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2026年07月>
日 月 火 水 木 金 土
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031