映画のレビューを書くのが、わりと好きです。
ストレートにふぃっと書いてしまうものもあれば、自分の中でうまく整理しきれなくて、はて、これはどういう映画だったんだろう、と思う映画もあります。
別に、自分の中でどっちが上というものでもないんですけどね。
『灼熱の魂』は、これはどういう映画だったんだろう、と考え込みました。
エンターテイメントというには、重い。
つまらなかったわけではなく、なにか引き込まれて最後まで観た。
ネタをわらずに、この映画について言葉にするのは難しい。
そんな状態だったので、つらつらと文章にしてみることにします。
たぶん、最後の衝撃について触れることもあると思いますので、また観ていなくて、観てみようと思っている方はご注意ください。
灼熱の魂 (原題もしくは英語タイトル Incendies)2010年製作
監督:ドゥニ・ビルヌーブ
出演:ルブナ・アザバル
メリッサ・デゾルモー・プーラン
母親が死に、双子の子どもたちジャンヌとシモンに遺言が語られるところから物語は始まります。
成人したジャンヌとシモン、特にシモンの反応から亡くなった母親は、ちょっとつきあいづらい人だったのかな、ということがうかがわれます。
遺言で示されたのは、父と兄に手紙を託してほしいということ。
双子の子どもたちは父親は死んだものと聞かされ、兄の存在はそもそも知らされていませんでした。
怒ったり、複雑な感情を抱えつつも、ジャンヌは母親の足跡をたどる旅に出ます。
並行して語られる母親ナワルの若いころの物語。
難民の青年と恋に落ち、結ばれるも、それを一族の恥と怒りにかられた兄弟に見つかり、青年はあっさりと射殺されます。
そのあたりの激しさは、現代の日本に生きる私からはまったくの異世界の展開でした。
一族の村を出て、町に住む親族のところに身を寄せるナワル。
中東というのは、実際に今も戦争が繰り広げられていますが、なんとも絶句するような展開が続きます。
乗っているバスが襲われ、キリスト教徒であるといってなんとか生き残るナワル。
でも、イスラム教徒であるというだけで、幼い子まで殺すキリスト教原理主義者たちに激しく反発。
さらには過酷な現実の中、生まれた村が襲われ、生んでいた息子が行方不明になったことを知ります。
平和主義者だった叔父の考えが間違っていた、とナワルは自身イスラムのテロリストの集団に参加し、キリスト教右派の要人の暗殺に手を染めます。
あっさりつかまったナワルは、収容所で拷問を受けました。
ジャンヌは旅をする中、収容所で「歌う女」と呼ばれていた母のことを知ります。
決して屈しないナワルに、凄腕の拷問人アブ・タレクが呼ばれ、拷問の中で暴行し、やがてナワルは子どもを産みました。
最初のうち、ジャンヌはそこで産んだ子が兄だったのだろう、と推測します。
観ている側としては、そのとき生まれた子どもこそ、双子だったのだろうと察せられました。
でも、どんでん返しは、そこにとどまりませんでした。
シモンも母ナワルの足跡をたどり、やがて真実がわかります。
「1+1=2だ。1+1=1なんてことがあるか?」
シモンから問いかけられ、怪訝な顔で止まった後、真実に気づいて悲鳴をあげるジャンヌ。
え?どういうこと?と、とまどいますが、そこで語られるのは拷問人アブ・タレクの正体。
これで悲鳴をあげるのは、確かにそうなるだろうと理解できました。
いやぁ、これは重い。
重すぎる真実。
アブ・タレクは今、ナワル、ジャンヌ、シモンの住むカナダにいました。
そこですべての真実に気づいたナワルはショックを受け、体調を崩して亡くなった、ということなのでしょう。
この真実は、すごく重い。
うーん、どうとらえたらいいんだろう。
戦争の悲惨さ、そういうことかな。
と、考え込む。
昔読んだ小説で、アフリカの紛争地帯を描いたものを読んだとき、似たようなエピソードが語られる場面もありました。
幼少期にさらわれ、イスラムのテロ集団の中で育てられたアブ・タレクは洗脳され、またテロ集団の方も行きがかり上、わかっていてそれをさせたわけではないでしょう。
気づいたのは、ナワルだけだったと思われます。
だから、ますます重いんでしょうね。
死を招いたほどに。
それでも息子には愛情をこめた手紙を書いたナワル。
簡単に、こういうことだったのだろうとは言えない、深い深いもののなかに、引きずり込まれれるような気分になる。
そんな映画でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する