明治天皇も訪れた学び舎――上京二十九組(初音)小学校跡を訪ねて
京都の街には、近代日本の教育の歩みを今に伝える史跡が点在しています。今回ご紹介するのは、「上京二十九組(初音)小学校」の跡を示す石標です。
現在は校舎を見ることはできませんが、この場所は明治時代に子どもたちの学びの場となり、さらに明治天皇が授業を視察したという由緒ある学校跡でもあります。
明治維新後に誕生した地域の学校
上京二十九組小学校は、明治初期に京都で整備された「番組小学校」の一つです。
番組小学校は、明治維新後の京都市民が主体となって設立した学校制度で、日本でも先駆的な近代教育の取り組みとして知られています。
地域住民の力によって学校が運営され、多くの子どもたちがここで読み書きや算術を学びました。
後に「初音小学校」とも呼ばれ、地域の教育を支える存在として親しまれました。
明治天皇の関西行幸
明治10年(1877)、明治天皇による関西行幸が行われました。
しかし、この年は西南戦争が勃発したため、行幸の日程は当初の予定より大幅に延長されます。
明治天皇は京都に1月28日から2月6日まで滞在した後、再び2月16日から7月28日まで京都に滞在し、さまざまな施設を視察しました。
京都が近代国家建設の重要な拠点であったことがうかがえます。
子どもたちの授業をご覧になった天皇
この滞在中、明治天皇は教育にも深い関心を寄せました。
5月には下京十八組(修徳)小学校を訪問し、さらに6月28日には上京二十九組(初音)小学校と下京二十四組(尚徳)小学校で行われた授業を視察しています。
この日は上京区・下京区の児童が集められ、日頃の学習成果が披露されました。
明治という新しい時代の教育が、天皇自らの目で確かめられた歴史的な一日だったのです。
京都が育んだ近代教育
京都は、日本で最も早く近代的な小学校制度を整えた都市の一つです。
番組小学校は、地域が子どもたちの教育を支えるという理念のもと誕生し、日本の学校教育の発展にも大きな影響を与えました。
上京二十九組小学校も、その歴史を支えた大切な学校の一つでした。
石標が伝える学びの歴史
現在、この場所には当時の校舎は残されていません。
しかし石標は、ここが多くの子どもたちの学び舎であり、明治天皇が授業をご覧になった歴史ある場所であることを静かに伝えています。
京都の歴史散策では、寺社や城跡だけでなく、このような教育の歴史を伝える史跡にもぜひ足を運んでみてください。
上京二十九組(初音)小学校跡は、日本の近代教育の始まりと、子どもたちの未来を見守った明治の歩みを今に伝える、貴重な歴史遺産なのです。
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https://ameblo.jp/stephen19690326/entry-12971037066.html
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