三津田信三『誰かの家』を読む。
ここ一カ月ほど、小説が増えているな。
もともと読書といえば、俺にとっては小説を意味していたのは30代後半くらいまで。
小説を読んでいると、だんだん「俺は今、こんなことをしていていいんだろうか」と思うようになって、小説の割合は減っていった。
その後、読書傾向はほぼ新書とかノンフィクションに移行した。
実際、2025年の12月、今年の1月は小説は1冊か2冊くらいしか読んでいない。
三津田信三のホラーミステリに限らず、どちらかというとホラー系の作家さんの本を2月後半から3月にかけて、3、4冊読んでいる。
意識してそうしているわけではなく、単純に楽しいから手にとっているのだ。
もうね、現実から遠く離れたところに行って、素直に気分転換を受け入れている感じ。
今、こんなことしている場合じゃ・・・なんて躊躇はない。
まぁ、現実だって、ある意味ホラーじゃないの?というのは、また別の話だ。
で、本書。
山登りであったり、温泉地に行った話であったり、同窓会で再開した友人から聞いた話、など、日常の場面で出会った人から聞いた話、という体裁をとる。
三津田信三氏というと、ホラーとミステリの融合というか、出てくる怪異や不思議にある一定の合理的解釈、謎解きは提示しつつも、あれ?それだけじゃ説明しきれないものもあるんじゃない?という余韻を残してくれるのがわりと魅力だと思う。
本書は、合理的解決よりは、最後まで不思議なものは不思議として残す感じだった。
解釈はあったとしても、解決はないんだよね。
楽しませてもらった。
仕事の方は、もう一息だけど、息抜きはまったく別方向に視点を向けていかないとね。
もう、というのか、ようやく、というのか角度によって感覚は変わるものの、あっという間に平日が終わって、週末の休みかぁという感慨はある。
野球の送迎や、家族のこともあるが、まぁ息抜きは大切にしよう。
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