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2026年03月26日10:27

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6時間の国会で見えた、「健康」意識の崩壊

岩本 麻奈

6時間の国会で見えた、「健康」意識の崩壊
厚労委員会は、長い。予定は5時間40分。
その中で私は、40分の持ち時間をいただいた。人生初の40分質問である。
もし早く終われば、母校・東京女子医大の最先端ロボティクス医療センターSCOTについても触れる準備をしていた。
しかし結果は、予定していた内容の3分の2。
噛む、止まる、時間が足りない。正直、出来としては全く満足していない。
爆弾は、今回投下されないまま終わった。
——けれども。
終わってみて強く残ったのは、自分の出来ではなかった。
この国の医療の議論そのものに対する、強い違和感である。

“それ、違う”と思い続けた40分
他の議員の質問を聞きながら、私は何度も、心の中でこう呟いていた。
「それ、違う」
・がん検診はもっと若いうちから
・子どものコレステロールも測るべきだ
・リスクがあれば、早く介入すべきだ
一見、正しそうに聞こえる。
むしろ「国民の健康を守る提案」にすら見える。
しかし、その構造を冷静に見れば、すべて同じ方向を向いている。
検査 → 異常値 → 介入(多くは薬)
この一本道である。
そして、この流れが「予防医療」と呼ばれている。——あるいは、「攻めの予防医療」と。

それは、本当に“予防”なのか
ここで、一度立ち止まりたい。
それは本当に、予防なのだろうか。
それは「早期発見」であって、「予防」ではない。
異常が見つかってから動く医療は、どれほど早くても、すでに“後追い”である。
本来の予防とは、そもそも異常が起こらない状態をつくることのはずだ。
さらに言えば、検査には必ず“偽陽性”が存在する。
その一つの数字によって、人の人生の軌道が変わることもある。
この問題は、単なる医学ではない。
生き方の問題であり、哲学の問題である。

健康とは何か
では、健康とは何か。
それは単に、「異常がない状態」ではない。
むしろ、自らの状態を調整できる力である。
多少の揺らぎを含みながら、それでも折り合いをつけて生きていく力。(“少し不健康”くらいが、ちょうどいいのかもしれない。)
ぐっすりと眠れること、回復できること、整えられること。
こうした“内的な秩序”こそが、健康の本質である。
しかし今の日本の医療政策は、この最も重要な部分を、ほとんど扱っていない。

なぜこうなるのか
理由は、ある意味で単純である。
現代医療は、
・測れるもの
・数値化できるもの
・短期で結果が出るもの
しか扱えない構造になっている。
その結果、生活、習慣、意志、美意識といった、本来健康の中核にある要素は、政策の外へと押し出される。
そして残ったのが、検査と薬による“管理としての医療”である。

「養生」と「湯治」を失った国
本来、日本は違ったはずだ。
この国には、養生、湯治、季節とともに生きる知恵があった。
身体を壊してから治すのではなく、壊れないように整える文化。
それが、確かに存在していた。
しかし今はどうだろうか。
少し眠れなければ睡眠薬。
数値がずれれば薬。
「整える」という発想は失われ、「介入する」ことだけが残った。
皮肉なことに、その源流である西洋医学ですら、いまや生活、予防、統合へと回帰している。
——部分から、全体へ。
にもかかわらず日本は、古い通過点に、取り残されている。

攻めの予防医療とは何か
私は、予防医療にはもう一つの軸が必要だと考えている。
それは、行動変容である。
人は、健康だから行動するのではない。
美しくありたい、整っていたいという欲求が、行動を変え、健康をつくる。
それは意志であり、ある種の美学である。
睡眠、食、身体、環境、こうしたものに対する“感性”こそが、最も強い予防である。

医療DXの本質
そしてこの議論は、医療DXへとつながる。
医療DXとは、単なるデジタル化ではない。
人間の時間軸を取り戻すための基盤であり、個別化医療への唯一の道である。
長期で追えるデータ、個人単位で統合された記録、生活と医療がつながる構造。
これがあって初めて、本当の意味での予防が成立する。
しかし現状は、カルテは5年で消え、データは分断され、政策は短期アウトカムで評価される。
これでは、予防も、検証も、科学も成立しない。

それでも問い続ける理由
昨日の40分は、決して満足のいくものではなかった。
しかし、その中で一つだけ確信したことがある。
日本はまだ、「健康とは何か」という問いの入口にすら立っていない。
だからこそ私は、問い続ける。
検診でも、薬でもなく、人がどう生きるかから始まる医療を。
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