「サンダーボルツ*」「アプレンティス ドナルド・トランプの創り方」のセバスチャン・スタンが主演を務めた不条理スリラー。
顔に特異な形態的特徴を持ちながら俳優を目指すエドワードは、劇作家を目指す隣人イングリッドにひかれながらも、自分の気持ちを閉じ込めて生きていた。ある日、彼は外見を劇的に変える過激な治療を受け、念願の新しい顔を手に入れる。過去を捨て、別人として順風満帆な人生を歩みだすエドワードだったが、かつての自分の顔にそっくりな男オズワルドが現れたことで、運命の歯車が狂いはじめる。
容姿が変わっていく主人公エドワードの複雑な心情をセバスチャン・スタンが特殊メイクを施して熱演し、2024年・第74回ベルリン国際映画祭で最優秀主演俳優賞(銀熊賞)、2025年・第82回ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門で最優秀主演男優賞を受賞。「わたしは最悪。」のレナーテ・レインスベがイングリッド、「アンダー・ザ・スキン 種の捕食」のアダム・ピアソンがオズワルドを演じた。外見やアイデンティティをテーマにした作品を手がけてきたアーロン・シンバーグが監督・脚本を手がけ、全編16ミリフィルムでの撮影による独創的な世界観を作り上げた。(映画.comより)
<2025年7月20日 劇場鑑賞>
ちょっと「エレファントマン」みたいな。主人公は神経線維腫症を患うエドワード。かなり特異な見た目にコンプレックスを抱き、社会生活を送りながらも、目立たないよう気を付け、好きな女性がいても告白しようとは思いません。控えめで仕事もできるエドワードには、それなりに友人もいました。しかし、ある日主治医から「まだ承認されていないけれど試す価値はある」治療法を紹介され、それを受け入れたときから人生が変わってゆきます。
治療は成功しました。きれいな顔になったエドワードは「ガイ」という名で別人になりすまし、不動産業で成功してゆきます。ハンサムなガイは業界の象徴にもなりました。過去を隠しながらも、これで憧れの女性にも近づくことができたガイは、彼女と親しくなっていきます。彼女は舞台を主宰する演劇家でした。そして、「顔が特異だったため大変な人生を送った男の半生」を綴った(ガイが書いた)脚本を気に入り、早速舞台劇にします。そして主人公はガイが演じるはずでした。
ところが、そこに”過去の自分”にそっくりな男が現れます。その男オズワルドは、自信に満ち、自分を卑下せず、その言動はユーモアにあふれ、あっという間に周りの人々の心を魅了し、あろうことか彼女の心も掴んでしまいます。彼女は架空ではない”本物の(顔が特異な)男”を起用しようと考え始め、ガイはまったく存在意義を失くしてしまいます。そして、こうなっても、その男オズワルドは常に優しく、ガイを気遣ってもくれるのです。なんなんだ。なんでこうなるんだ。自己がわからなくなって混乱したガイは事件を起こしてしまい、捕まってしまいました。
この映画は、なかなかに難解な質問を鑑賞者に投げかけています。そして、あとから登場したオズワルドは、本当に神経線維腫症の俳優さんなんだそうです。すごいですね。自信満々で明るいオズワルドに彼女が惹かれるのは仕方がないとしても、果たして彼女はどこまで事実を認識していたのか、何も知らなかったのか。オズワルドはガイがエドワードだといつから知っていたのか。知ってて現れたのか。あるいは彼が服役(事件を起こしたからね)するまで本当に知らなかったのか。服役を終えたエドワードに「二人であるコミューンで一緒に暮らすことにした」(暮らしている、だったかも)と告げた二人の”コミューン”ってなんなのか。まぁそんなことは話の筋に重要ではないかもしれないけれど。
しかし、セバスチャン・スタンの作品選びって、個性的ですね。ハンサムなのに、それを生かしも殺しもしてる。うまい役者さんですよね。しかしなぁ、私は凡人だからこの話は「わかるわぁ」と思ってました。顔を気にして「これさえなければ」と思いながら生きて来て、危険を承知で挑んだ治療がせっかくうまくいったのに、同じようなアグリーな男にあっさり負けてしまう。じゃ、自分があのままの顔で彼のように前向きに生きれたか、と言うと「否」。だからきれいになったのに、その結果も「否」。じゃ、もっと早く彼オズワルドが現れてくれてたら、考えも変わったかもしれないのに、ガイとして成功した後に現れるそのタイミングって、なに?って、実生活で起きればそう思っているでしょう。今回は映画だから、寓話に仕上げてあるのでしょうが。
いろいろ考えさせられる映画でした。
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