ブライアン・クラース『なぜ悪人が上に立つのか』を読み終わる。
翻訳で、そこそこページのある本となると途中で投げるかなぁ、という懸念もあったのだけど、予想に反してべらぼうに面白かった。
ちなみに俺が「べらぼうに」というのは、去年の大河があったからではない。
昔好きだった作家、隆慶一郎がエッセイで、とある本について、
「べらぼうに面白かった」
と書いていたことによる。
本書の内容としては、まさにタイトルに書かれていることなんだけどさ。
最初の方に出てきたエピソード。
有名なジンバルドーの監獄実験の話が出ていた。
スタンフォード大学の心理学実験室の話。
学生をアルバイトで募って、グループ分けし、片方を囚人、片方を看守にわりあてた。
閉鎖された空間で、架空の監獄として生活させたところ、看守がどんどん威圧的になっていき、たいへんなことになって実験は途中で中止になったという。
もはや古典的な実験ともいえるし、俺が大学生の頃、教科書でも読んだ。
役割によって、人間の生活とか行動は影響を受ける、なんて言ってしまうとざっくりしすぎかな。
この実験については、倫理的な面でも批判が多いし、映画にもなっている。俺が観たものもあるし。
ただ倫理的な問題からも、追試して検証なんてできないよね。
と思っていたら、本書では別の視点からの批判があった。
ジンバルドーは実験に協力してくれる学生を募るのに、広告を出した。そこでは、
「監獄にかかわる実験をします。協力してくれる学生を募集します。報酬は・・・」
とあったそうな。
これに対して、疑問を感じた研究者が実験の協力者を募集する方法について、検証を行った。
一方では同じように
「監獄にかかわる実験をします・・・うんぬん」
と書いた。
もう一方では、
「心理学の実験をします」
とだけ書いて募集した。
そして集まったそれぞれのグループについて、性格特性を検査して比較したという。
結果、監獄実験という広告に集まった学生の方が、権威的だったり攻撃的だったりしたという。
監獄実験では、看守役の学生が囚人役の学生を眠らせなかったり、屈辱的なことをさせたりしたのが有名な話。
でもそれは、そもそもそういう傾向を持った人が多かったからじゃないの?というのが、上記研究からの批判となる。
どんな人間も、置かれたポジションによって冷酷な悪人にも、善良な市民にもなりうる。エルサレムのアイヒマンであったり、中東に派遣された米軍兵士たちの捕虜虐待の話だって、同じ文脈で語られる。
そうしたこれまでの一種、常識的な見方に対して論理的に反論する。
ポジションだけじゃない。
そもそもそういう傾向にある人がそういうポジションに置かれた結果であって、監獄実験の中でもあまり知られていないが、囚人役にふだんとかわらず接した看守役の学生もいた、と。
おぉ〜と、びっくりしたね。
こういうアプローチで、古典的研究を検証したものは、初めて知った。
なんというかさ。
科学の実験、長い時間を耐えて古典的とさえ言われている研究は、もはやひとつの常識になっているとすら思えたものも、こうして検証され、疑問が提示される。
こういうのが、科学の面白さなんだろうと思う。
本書では、集団の上位にいる人間がしばしば悪い奴にみえるのはなぜか。さまざまなアプローチから検証している。
監獄実験も、そのなかのエピソードのひとつなんだけどさ。
書かれていることを、ひとつひとつ丁寧になぞっていきたいくらい、面白かったね。
いずれ再読しつつ、簡単なノートくらい作りたいな。
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