今日は何もしていないがふと思い浮かんだことがある。私は同じ人間に対して、好きだと思うこともあれば嫌いだと思うこともある。好きと嫌いは矛盾しているようで実は共存可能な感情だ。なぜそんなことを思ったのかというと、FF14でまさに私にとって好きと嫌いが合わさったフレンドいるからだ。
まず敢えて嫌いな部分から話していこう。そのフレンドはおそらく30台中盤の男性だと思う。私とは10歳以上歳が離れている。となるとやはり感性や価値観が違う部分もある。またそれぐらいの年齢になってくると良くも悪くも人間社会で揉まれて生きてきたことにより気を遣うことに疲れて、自分自身も言い方を考えないようになったりもする。
つまり私にとってそのフレンドの嫌いなところは、言い方がきついことだ。それが上記のどれに起因するのかわからないが、年齢差の問題ではないと思うので少なくともその人の内面的な部分の問題だと思う。
毎回そうというわけじゃない。普段はそんな気になることもないのだが、たまに……というには頻度が高いという程度だろうか。
ちょっと棘のある言い方をするのだ。言っていることは間違っていないし特別攻撃的な言い方というわけではないのだが、なんていうか空気の読めないような……その言い方はちょっと場の空気悪くしちゃうんじゃないかなって感じの言い方というか……。なんともいえない煽りとも取れるような言い方をする。
その度に、もうちょっと優しく言えないかなあ?と思わせられる。
一方で私がそのフレンドを良いと思う部分、好きなところは発言を拾ってくれるところだ。
実は私、最も嫌いなことの一つが“無視”なのだが、このフレンドは変なこととか伝わらないようなことを言ってもその人なりに拾ってくれる。もちろん“無視”が嫌いな私自身もそうなりたくないので、積極的に誰かの発言は拾うようにしている(場合にもよるが)。だからこそ私と同じく“拾ってくれる”というのが私にとって、そのフレンドのに対する印象が良くなる大きな要因となっている。
どうしてみんな平気で無視をするんだろう?と思っていたのだが、これに関してはまさに“人間社会に揉まれた”影響だと思う。まぁ厳密にはちょっと違うかもしれないが、その影響を受けたことにより、その人の中で人とのコミュニケーションが最適化されるようになる。
みんな学生の頃とか、複数人での会話において「自分の発言が拾われずにスルーされてそのまま話を続けたり別の話に変えられたり」って経験があるんじゃないだろうか。あるいは自分がスルーしたという経験もあるだろう。
でも学生の頃の“無視”はどちらかというと、そちらに会話のリソースが割けていないだけだったり、興味がなさすぎて発言を認識できないというか耳から抜けてしまったりとかで意識が向かなくてスルーしているということがほとんどだと思う。
ただ大人になってくると、明らかに発言を認識しているにも関わらず“無視”するという事象が増えてくる。それが私の話したい“無視”というものだ。
学生の頃はまだ“気を遣う”ことに慣れていなかったり知らないから結果的に“無視”になっていたのが、大人になって“気を遣う”ことを覚えたにも関わらず“無視”する。
同じようで全然違う。どちらの方が傷つくかって言ったらやっぱり後者だろう。
一応言っておくとこれは仕事でのやり取りとかではなく、プライベート……まぁ元々FF14で感じた出来事なのでチャットとか通話での話だ。
私は別に気を遣って欲しいというわけでもないが、それはそれとしてあんまり無視されるとだんだん話す気がなくなるし、それが繰り返し続くとめちゃくちゃ落ち込んできてしまう。
“無視”って自分から何かするわけじゃないから、攻撃として見なされにくいし一見軽く思われがちだけど、立派な攻撃行動だと思う。。
だって極端に言ってしまえば、“相手の存在を認めていない“、”いないものとして扱っている“ことになるわけで……つまり”相手の全てを否定”しているわけだ。下手したら直接嫌がるような何かを行われるよりもキツイかもしれない。
だから“無視”っていうのは“一番気軽にできて一番効率よく相手の自尊心を傷つけることができる行為”だと私は思う。
話を戻すと、さすがにタイマンでのコミュニケーションで起きることは少ないが、複数人とのコミュニケーションとなると自分の拾いたい情報だけを拾うようになる。学生の頃は興味がなかっただけだったのが、大人になると自分の意志で無視をする選択をしている。なにも学生の頃はそうじゃなかったと言いたいわけじゃない。というか結局私が言いたいのは「自分の意思で無視をする選択としている」の部分だから年齢とかは重要ではない。
それでそうなってしまう理由が、多くのコミュニティに属してきたことによる“コミュニケーションの最適化”だ。
大前提として無視をされるのは誰もが嫌がることだ。でも生きていれば無視をされることなんでいくらでもある。それこそ何気ない会話の一幕なんかじゃなく、自分が凄く反応を期待しているようなことでも軽くスルーされてしまうことだってある。無視をされると「なんでスルーするの?」となる。当たり前のことだ。そんなことが重なって、次第に無視されることを悲しんでいた人も「もういいか」と、“無視”を肯定はせずとも受け入れて自分の心が傷つかない方へ逃げる。無視というものが大したことではないように思い込むのだ。だから大したことがないからこそ自分も無視をするようになる。それが“コミュニケーションの最適化”の一例だ。
あんまり熱量がありすぎると傷つくし、もうそれで何度も傷ついてきて、それがもう嫌だから適当にへらへらしておく。どうせマジでやっても疲れるだけだし自分が拾いたいものだけ拾う。それで良いって人たちだけでうまくやっていく。雑に言うとそんな感じだ。
まぁ間違ってないし正しいとも思う。けど気にしないようにしているだけで結局そういう人たちも無視されたらその時はちょっと悲しい気持ちになる。だから気にしないようにするために無視が大したことじゃないと思い込み、だからこそ自分もスルーすることがあってもいいよね。となるのだ。
なんか何回も同じようなこと言っているような気もするが、同じようなことを言っているだけで私が伝えたいことはどれも違うから良いだろう。
私の場合は人間社会とかコミュニケーション以前に何より嫌いなことだから辛いので、人間社会に揉まれた程度で気にしないように……とはならなそうだ。むしろそうなれたら楽なのだが……。
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