今回は、誰しもあこがれる推しのアーティストとの対面 第2弾第2部である。第1部では、イベント開演前の私の足取りを紹介させていただいた。緊張感から足が重く、思い通りに動けなかった。イベントの開始時、ある一人の心強い味方の存在により、急に緊張感から開放された。私の視点から、2025年9月19日(金)に渋谷HMV店で行われたSARD UNDER GROUNDの特典会の模様を紹介する。
第1弾 2025年6月11日付 B’zのMeet & Greet SARD UNDER GROUNDのリリース記念イベント(私との直接会話の内容 中東情勢 米カーター大統領 ZARDの坂井泉水)
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<誰しも憧れる推しのアーティストとの対面 第2弾 3部構成(第2部)特典会へ、私とSARD UNDER GROUNDの神野友亜の直接会話(会話内容:第39代米国ジミー・カーター大統領への思い、エジプト・イスラエル平和条約。ガザ紛争)>
第1部 アーティストとの直接対面前の出来事
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直近のリリイベ 2024年8月21日池袋アニメイト店のレポート
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目次
(1)いよいよ特典会へ。心強い友が登場する。
(2)ついに神野友亜と対面へ
(3)カーター大統領への思いを語る
(4)カーター大統領の長かった退任後の人生 ボスニアヘルツェコヴィナ紛争の調停
(5)ガザの停戦へ向けて、エジプトの役割
(6)お別れへ、充実の特典会
もう一度「SARD UNDER GROUND」を説明すると、デビューから6年間複雑な経緯を辿っていた。名前を聞くと、真っ先にバンド編成のグループと想像する。実際、2019年9月18日に、女性4人組みから成るZARDのトリビュートバンドとしてデビューした。コロナ禍の2021年5月28日にギターリストが抜けて、3人編成になる。2024年9月30日に、ベーシストとキーボードリストが、新たな道に進むため、グループを脱退した。2024年10月1日に、ヴォーカルの神野友亜によるソロ・プロジェクトに代わった。今回私が参加したファンとアーティストが直接お話をする「特典会」時の会話内容を余すことなく表現した。
(1)いよいよ特典会へ。心強い友が登場する。
私自身、直近では、3人グループ時代の2024年8月21日(水)アニメイト池袋店以来の対面である。いよいよ「この時が近づいてきたか」と胸騒ぎがした。係員がマイクを握り、注意事項を述べている最中、ステージの後片付けが行われる。神野友亜の前には、横並びの机が置かれた。彼女の横にマネージャが構え、ポスターを用意する。我々観客は、左側に列を作り、ステージ上で机越しに顔を合わせる。
写真=9月17日(水)Youtubeで生配信されたAL「故障した車」発売記念 インターネットサイン会の様子 掲載元 徳島のシンジ君のブログ 故障した車オンラインサイン会
9月18日午前2時14分
https://ameblo.jp/shinchanakb48/image-12934087746-15684286495.html
CD販売を兼ねた受付の係員に聞いたところ、観客は100人余りだという。列へ人々が流れていく中で、思わぬ出会いがあった。SNS上を中心に交流のある知り会いが、リュックの中を確認していたのである。その方の後姿を見て、私は声をかけた。実のところ、9月10日(火)に東京国際フォーラムCで行われたライブでは共に参加しながら、対面できなかったのである。その方が、イベントの常連さんとの話に夢中になっていて、私は開演前に姿を確認しながら、声をかけそびれてしまった。
改めて「よく来てくれましたね」と挨拶した。「私は時間が許せば、大体イベントには行きますよ」とやさしく声をかけてくれた。彼は列に向うものの、私はその場にとどまった。短い会話ながらも、友の力によって、心に重くのしかかっていたプレッシャーから開放された。これでしっかり望めると、遅れて列に並んだ。後ろの方で待機している中、見覚えのある常連さん達の様子を眺めた。コミュニティーが小さいゆえ、イベントに頻繁に顔を出していると、必然的に仲良くなる。現に午後4時30分過ぎに受付の最中に出会ったスーツの方は、同じ常連さんと和やかなムードで会話をしていた。彼自身は、いつも特典会のトリを飾ることを意識して望んでいる。誰よりも、イベントに通い続け、CDを沢山買うスーツの方を、常連さんは敬意を表していた。私は、彼のことが確かに気になる。自分とは違うと意識して、遠くから見守ることに決めた。
(2)ついに神野友亜と対面へ
さて、アーティストとして、神野友亜は、ソロになって、独自性を出すようになった。グループ時代は、他のメンバー二人に支えられ、時にリアクションが激しいものの、冷静に観客と接していた。ソロになり、テンションが高く、入れ替わり立ち代り訪れるファンを笑顔で迎える。
写真=神野友亜 掲載元 X 2025年9月18日付 デビュー6周年報告
https://x.com/yua_sard/status/1968518508238770357
私は、リリイベのアーティストと対面する「特典会」を迎えるに当たって、共通のテーマがあった。今世界を揺るがしている「ガザ情勢」である。ユダヤ人が中心のイスラエルと、アラブ人が主体のパレスチナの間では、互いに受け入れられず、土地をめぐって長年争っていた。1948年のイスラエル建国以来、アラブ諸国との衝突は耐えなかった。2023年10月7日に始まったガザ紛争で顕著に現れた。今回の特典会でも、主要なテーマである。
友のおかげで、緊張が和らいだことにより、私の順番が回ってきても、はっきりとした口調で話すことができた。
私は、挨拶をする。「前回は、2024年8月21日(水)の池袋アニメイト本店のリリイベに参加させていただき、過去にもガザ紛争のことをお話をさせていただきました」
神野友亜は頷くような仕草をする。私は手ごたえを感じた。ここからが本番である。
「当時、中東情勢をテーマにさせていただきました。その際ZARDの坂井泉水さんが小学校6年時にあたる1979年に結ばれたエジプト・イスラエル平和条約のことをお話させていただきました」
写真=SARD UNDER GROUNDのメンバーにも見せたエジプト・イスラエル平和条約締結時の写真 1979年3月26日:米ホワイトハウスにて。右側エジプトのサダト大統領、左側イスラエルのベギン首相 真ん中 カーター大統領
神野友亜は、「覚えています」とはっきり答えてくれた。その瞬間、私の不安は完全に消え去った。まさか、一介のファンが話した国際政治の話題を記憶していてくれたとは。私の胸は高鳴った。
既に半年前の1978年9月17日に、和平合意が成立していた。イスラエルは、1967年の「第3次中東戦争」時に占領したシナイ半島を、1982年までに返還する。見返りにエジプトは、アラブ諸国で最も早くイスラエルを国家承認した。両首脳は、カーター大統領を挟み、パレスチナ問題を先送りすることで、決着をつけた。
締結場所の米大統領府が所有する別荘名から「キャンプ・デービット合意」という。早くも同1978年に、エジプトのサダト大統領とイスラエルのベギン首相は、ノーベル平和賞を共同受賞した。
(3)カーター大統領への思いを語る
仲介に一役かった米第39代カーター大統領は、推薦状が間に合わず、受賞は見送られている。彼は、1981年に1期4年で退任すると、翌1982年に故郷ジョージア州のプレーンズに程近い、州都アトランタにて、財団を設立した。
私は「池袋のイベントのとき、エジプト・イスラエル平和条約を締結させたジミー・カーター大統領が、(2024年)10月1日で100歳になると、述べさせていただきました」と当時伝えたことを、もう一度話した。神野友亜から「覚えています」と返事が返ってきた。何人ものファンと対面する彼女は、一人ひとり話した内容を記憶させることは難しい。私とは、1回、1回向き合う時間が長く、記憶にも残りやすかったといえる。
写真=2024年10月1日 米首都ホワイトハウスのノースローン(北庭)にて、カーター大統領の100歳を祝う看板 出展:AFP時事通信より
https://www.afpbb.com/articles/-/3541626?pno=16&pid=27384940
2024年10月1日に、アーティストとして転機を迎えた。後ろから支えてくれたキーボードリストとベーシストが抜けて、ソロ・シンガーとして、新たな一歩を踏み出した。不思議にもカーター大統領の100歳の誕生日と重なっていたのである。
「無事に100歳を迎えることはできました。残念ながら昨年12月29日にお亡くなりになりました」
神野友亜も言葉を失っていた。隣で様子を見守るマネージャーは聞きの姿勢に入っている。私は呼吸を整えて説明をする。
2025年1月9日に米国の首都ワシントンで行われた国葬に、日本政府から菅義偉元総理大臣が出席したことを申しあげた。「そうだったのですか」と神野友亜が答えると、マネージャーも頷いていた。マネージャーの方が事態を詳しく知っていたようだった。
振り返ると、カーター大統領は、老年期に入り、癌との闘いだった。2015年8月12日に、肝臓に見つかった癌細胞の摘出手術の過程で、複数の部位に転移していたことが発覚した。 以後はジョージア州の病院で治療を受けた。 2015年8月21日にカーター大統領が自ら記者会見を行い、病状を説明した。90歳10ヵ月半を迎えた彼は、死を意識しながらも怖がることはなく、冷静に自分の気持ちを話した。「後悔の気持ちはありません。これまで沢山の友人に恵まれ、わくわくするような冒険心に溢れた満ち足りた経験をしてきました。ですから妻よりも驚くほど穏やかでした」と一端言葉を区切り、笑顔を見せた。「何があろうと心の準備は出来ています」と打ち明けた。大統領在任時代から健在だったカータースマイルは、苦境時でも絶やすことはなかった。翌2016年、免疫療法により、体内で癌細胞が消滅したことを報告した。インタビュー中に触れた妻とは、1927年8月18日生まれのロザリン氏である。1946年7月7日、二人の故郷プレーンズで結婚式を挙げた。ジミー・カーター氏の政治活動を全面的にバックアップし、大統領退任後の人権擁護活動にも参加した。2023年11月19日に96歳で亡くなっている。夫婦生活は実に77年に及んだ。
写真=笑顔のカーター大統領 2014年3月25日に撮影 AFP通信より 掲載元 AFPBB NEWS 2024年12月30日付
https://www.afpbb.com/articles/-/3556307?pno=0&pid=doc-36RQ9X2_1_2308191_preview
動画=癌にかかっていることを報告する。
写真=エジプト・イスラエル平和条約の調印式 1979年3月26日、米ホワイトハウスにて 左側エジプトのサダト大統領 右側イスラエルのベギン首相 出展:AFP通信より
私は言葉を振り絞った。「カーター大統領は人道主義者でした。ガザ紛争が長引く中で功績について考えるようになったのです。昨2024年、生きているうちに、推しのアーティストである神野友亜さんに伝える目的があったのです」
(4)カーター大統領の長かった退任後の人生 ボスニアヘルツェコヴィナ紛争の調停
ジミー・カーター氏は、1977年から1981年まで、1期4年で大統領としての役目を終えた。彼自身は、退任後の功績が脚光を浴びる。困った人々に救いの手を差し伸べ、福祉に精を出す。時にアフリカの紛争地に赴き、和平の調停役を担った。1994年には、クリスマスに合わせて、旧ユーゴスラビアの一国ボスニア・ヘルツェコヴィナに赴いた。セルビア人と交戦勢力のクロアチア人とボスニャク人の間に入り、年明けの1月から4月までの停戦にこぎつけた。紛争には、NATO軍も介入し、国際問題と化していた。最終的に1995年10月13日に、セルビア人が、和平交渉に応じる姿勢を示したことで、事態が動き出した。同年11月1日、米国オハイオ州デイトンにて、キリスト教正教のセルビア人、キリスト教カトリックのクロアチア人、イスラム教徒が主体のボスニャク人の代表者が集い、国作りへ向けて協議した。同月21日に、セルビア人が主体のスルプスカ共和国、クロアチア人とボスニャク人で構成されるボスニアヘルツェコヴィナ連邦の2国の国境線引きが行われた。民族ごとに完全に分離されることはなく、一つの国家「ボスニアヘルツィコヴィナ」として国際連盟に加盟する。大統領に関しては、3つの民族の代表者がそれぞれ一人ずつ出しあい、評議会を形成する。大統領評議会の任期は4年、原則再選は禁止された。民族ごとに選定された3人の代表者は、一人当たり8ヶ月事の輪番制で大統領職を務める。合わせて2期16ヶ月職務に就く。また評議会とは別に、「スルプスカ共和国」と「ボスニアヘルツェコヴィナ連邦」にそれぞれ大統領が選ばれている。つまり一国に同時5人の大統領が存在するのである。1992年から続いた内戦を経て、3つの民族と2つの国家が歩むべき取り決めを、締結地にちなみ「デイトン合意」という。同年12月14日、フランスの首都パリにて、調印式が行われた。
写真=ボスニア・ヘルツェコヴィナの地図 掲載元 内閣府より
https://www.cao.go.jp/pko/pko_j/result/bosnia/bosnia03.html
アメリカの大統領といえば、世界の警察と呼ばれる程、存在感を発揮していた。ソ連を中心に旧東側諸国を牽制しながら、西側の民主主義陣営として、他国の政治にも干渉した。一方で、カーター大統領は、力と力、すなわち軍事力で物事を解決することを嫌った。常に対話を意識した。1979年のイラン・イスラム革命、同年のソ連のアフガニスタン侵攻の際にも、米国内から軍事介入を要望する声があった。彼は、さらなる混乱を避けて、静観していたのである。国内の経済は、ベトナム戦争による後遺症から停滞し、政権側に責任を押し付けられた。再選の道は閉ざされ、静かに政界を去った。大統領退任後43年11ヶ月以上に及んだ中、社会奉仕活動に重点を置いた。カーター氏の姿勢を見直す動きが強まり、人道主義者として、多くの人々から敬愛されていた。
私は、カーター大統領への思いを全力でぶつける。「人道主義者として立派な方でした。退任後も継続的に取り組んだのです。1984年には広島の原爆ドームに訪問し、2002年にはノーベル平和賞を受賞しました」
1984年にジミー・カーター氏は、大統領経験者として初めて広島に訪問した。資料館を見学し、慰霊碑に顕花する。
写真=広島の平和記念公園にて、献花する様子(出展:AP通信) 掲載元 読売オンライン 2024年12月31日 午前7時4分
https://www.yomiuri.co.jp/pluralphoto/20241231-OYT1I50002/
千人余りの市民を前に行ったスピーチにて、「壊滅的な惨禍を思うと厳粛な気持ちになる。この教訓は決して忘れてはならない」と平和を誓った。来日時、富山県東部の黒部市にも赴いた。市は大統領経験者として、暖かく迎え入れる。実のところ、カーター大統領と、黒部市は、深くつながっていた。1972年にジョージア州知事時代に、黒部市に本社を構えるYKKのファスナー工場を誘致したことに始まる。州知事時代にも、当時は先進的な男女平等を掲げ、黒人差別にも否定的だった。自身の政策をジョージア州から米国全域に広げ、国際社会へアピールするべく、大統領選挙戦に打って出たのである。
1984年5月22日、黒部市はカーター氏の訪問を記念して、第1回ジョギング大会を開催する。カーター氏は、当初スターターとしての参加予定だったものの、途中自らの意思で設定されたコースをジョギングした。沿道に集った住民は、大統領経験者のラフな姿に惹かれ、大声援を送った。以降毎年ジョギング大会を主催した。直近では、2025年5月25日(土)に「カーター記念!黒部名水マラソン」と題して、第42回目を開催した。
詳細 カーター記念 黒部マラソンのページより
https://www.kurobe-taikyo.jp/road/competition/history.html
写真=第1回黒部マラソンのスターターの号砲を鳴らすカーター大統領 掲載元 チューリップテレビ 2024年12月30日17時24分付
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tut/1645866?display=1
大統領経験者は、生涯警護が付くものの、彼自身は人々との触れ合いを大切にした。
紛争を解決し、民主主義と人権を拡大させ、経済や社会開発に尽力した功績が評価され、2002年にノーベル平和賞を受賞する。彼の後に続いたのは、同じ民主党に所属したオバマ大統領だった。オバマ氏は、2016年に始めて現職の大統領として、平和記念公園でスピーチをした。就任1年目となる2009年のプラハ演説で言及した「核無き世界を訴え続ける」と決意を表明した。早くも同2009年にノーベル平和賞を受賞している。
写真=広島原爆ドームを訪問したオバマ大統領 2016年5月27日 広島平和記念公園にてオバマ大統領の演説 掲載元 国際平和拠点広島より
私は、次のように述べた。「今のアメリカ第一主義のトランプさんとはまったく違います。同じ民主党でノーベル平和賞を受賞し、広島原爆ドームに訪問したオバマ大統領のような方でした」
写真=カーター大統領とオバマ大統領 2014年頃?出展:インスタグラム obama foundation
https://www.instagram.com/p/DELhzBJucHl/
続けて、「このような話をする人は誰もいないと思っています」
神野友亜ははっきりといえなかったものの、口元がほころんでいた。
「身の回りの人間、近所の人、ここで知り会った人を含め、いろんな人に、カーター大統領や、その功績エジプトとイスラエルが和平を結んだ事実を伝えていたのです。ですからどうしても神野友亜さんに話たかったのです」
(5)ガザの停戦へ向けて、エジプトの役割
昨2024年12月29日に亡くなったカーター大統領について熱く語る私を、神野友亜は受け入れてくれた。パッチリとした二重で、親からはぐれて迷子になった子供をあやすような、やさしい眼差しを向けてくれたのである。実際第三者のアーティストの横にいるマネージャーや、観客を誘導する係員は、故人を偲ぶ私をどう見たか。つい私も係員も本人も時間の感覚を忘れてしまう程、別世界に飛んでしまった。
写真=9月を迎え陽が落ちるのが早くなったと報告する様子 出展:オフィシャルX 2025年9月2日午後7時54分
https://x.com/yua_sard/status/1962831578863964391/photo/1
私は秘めた決意を口に出した。{神野友亜さんは、私の話を覚えてくれていました。同じような話をすると、人から嫌われます。自分自身時に人から「しつこい」と言われるのです。ですから、この問題からサヨナラしなければなりません」
神野友亜は、「そんなことはない」というように返事をしてくれた。確かに、前回から1年1ヵ月は開いている。彼女自身も、今申したことを全て知っているわけではなかった。
「カーター大統領が、エジプトとイスラエルの間をつなぎました。その役割は非常に大きかったのです。エジプトは、今なおイスラエルとの平和条約を遵守しているからこそ、今回のガザ紛争において、カタールとアメリカと共に停戦交渉の仲介役を務めているのです」と今の現状を伝えた。エジプトが停戦交渉の仲介役を務めていることは、8月21日の池袋のリリイベでもしっかりと説明させていただいた。彼女はその件は覚えていないようで、「そうだったんですね」と答えていた。
写真=中東地域の地図 掲載元 2023年11月23日毎日新聞より
https://mainichi.jp/articles/20231123/ddm/007/030/099000c
「はい、エジプトとは和平がありますからね。過去にもハマスとイスラエルは衝突が起こっていました。その際エジプト一国が間に入って収まっていたのです」
エジプトは、1978年9月17日のキャンプ・デービッド合意により、対イスラエル闘争を繰り広げていたアラブの同士から裏切り者と阻害された。現在では、イスラエルとの和平により、他のアラブ諸国との橋渡し役として、西欧諸国から評価されている。
隣にいるマネージャーに促され、私は曲のリクエストを伝える。「今後ZARDでは、新しいドア〜冬のひまわり〜をカヴァーして欲しいと思っています」
神野友亜は、フランクな雰囲気から、急に面談に望むスーツ姿の就活生のように「ありがとうございます」と謙虚に頭を下げた。
(6)お別れへ、充実の特典会
マネージャーから彼女を経由して、ポスターが渡された。私は、手に取りながら、真剣な面持ちで語った。「(ガザ地区内の)ガザシティの方では、イスラエル軍が地上侵攻しています。」とはっきりとした口調で言いながら、神野友亜の反応を見た。つい「ネタニアフ(首相)は何を考えているのか、わかりませんよ」とつぶやいた。彼女は、それ以上返す言葉はなかった。過去の会話からも彼女自身ガザの人々に対して同情していたことはわかっていた。今彼女にも、私にも、他の観客にも、戦争をやめさせる力はないのである。
次の人が待つ中、私は話を締めくくった。「ウクライナやガザで紛争が続く中でも、エジプトとイスラエルが和平を結んだ事実を忘れずにがんばってください」
一旦間を置いて、「しつこくしないと、言っておきながら、また繰り返してしまいました」と私自身、恥ずかしくて、視線を落とした。神野友亜は、不満を示さず、私の身になって、反応を示してくれた。2度目のポスター受け取りを済ませ、挨拶をした。争いのない平和な世界への希求が弥が上にも高まった。
写真=1978年9月17日キャンプ・デービッド締結に伴い、首都ワシントンでの記者会見の模様 AFP通信
https://www.jiji.com/jc/article?k=2024123000485&g=int&p=20250101ds55&rel=pv
観客席から見て、ステージの右手に設置された階段を降りていった。確かに午後7時を迎えるまで、体は強張っていた。いざ始まると、時間を忘れるほど、話に打ち込んでしまった。丁度、SNSで交流がある友の姿があった。私は「終りました。ずいぶん話すことができました」、すると「どうだった?」とたずねてきた。「アメリカのカーター大統領のことも、エジプト・イスラエル平和条約のことも覚えていました」と特典会に望んだ勢いそのまま答えた。友は「良かった」と頷き、「ガザのことは?」と聞いてきた。「もちろん知っていましたよ」、
私が手にしたポスターの数を見て、驚いたようだった。彼のおかげで、私は緊張から解放された。興奮冷めあがらないまま、友の後についていった。受付でCDを1枚購入して、もう一度望むようである。私は達成感に満たされ、彼を見守ることに決めた。
過去に話してくれた内容を覚えていただき、感激した。このようにイベントがある日常が喜ばしかった。推しのアーティストとの対面は、個人的な情熱と、世界への願いを託せるかけがえのない時間だった。
写真=9月19日のイベント終了後の神野友亜
https://x.com/yua_sard/status/1969023309024030854/photo/1
第3部へと続く。
以下 追悼 カーター大統領 3部作 2025年1月公開
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