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2025年08月17日15:28

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親鸞 人生の目的

 
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 8歳で両親を失った親鸞は、「やがて死ぬのになぜ生きるのか」という人生の目的の答えを仏教に求め、わずか9歳で比叡山に入り、修行に励んでいた。10年の仏道修行を経て19歳になった親鸞は、聖徳太子廟からの帰り道、関白・九条兼実の娘、玉日姫に出会う。

以来、女性のことは思ってもならないと教える比叡山での厳しい修行に打ち込むも、玉日姫のことが忘れられない。「煩悩にまみれた私はとても救われない」と絶望し、比叡山を下りた親鸞は、「煩悩あるがままで救われる」と説く人生の師・法然上人に出会い、その教えによって、ついに苦悩の解決の道を知ることに至る。

そして、玉日とも感動の再会を遂げ、共に法然上人の教えを聞くようになった2人は、ますます惹かれ合うようになってゆく。僧侶と関白の娘、決して結ばれないはずの2人を待ち受ける結末とは…。(映画 公式ウェブサイトより)





<2025年3月16日 劇場鑑賞>

 歎異抄は読んでません。でも、この映画がいいと聞いて真面目に鑑賞してみて「歎異抄って、こんな感じだったのか」と思いました。4歳で父を、8歳で母を亡くし、天涯孤独となった親鸞。「人は死んだらどうなるのか。なぜ生きるのか」と思い悩み、9歳で出家・得度。得度をする直前に読んだとされる歌が残っているくらいですから、ご両親共々教養の高い家庭だったのでしょうね。

 当時の仏教は因果応報の考えが主流で、すなはち「アホなことをしたら地獄に堕ちますよ。賢く生きたら天国へ行けますよ」と言うものでした。それはそれで正論でしょうが、それでは親鸞が最初に抱いた問いの答えにはなりません。どうせ死ぬのになぜ生きるのか、一生懸命修行に励む親鸞もいよいよ行き詰まり、19歳の時いったん寺を離れて町へ降ります。そこで関白・九条兼実の娘である玉日姫と出会うのです。可憐なだけではなく聡明な姫は、「お坊様」と親鸞を慕い、人生や日常のあらゆる質問を投げかけます。姫の鋭い問いに触発される親鸞。頻繁には会えない二人ですが、お互いの知識欲は人生のよい刺激となってゆきます。しかし逆に、女性に対する思いに翻弄されることなど、僧にとっては許されない煩悩だとされていた時代に、この”煩悩”に勝てない自分に絶望したりもするのです。それで、尊敬してやまない聖徳太子の廟を訪ね、三日三晩一心不乱に祈ってお告げを得たり、あるいは従来の修行では救われないと悟り、答えを求めて各地を歩き回ったりしていました。そして、ある時京都で昔一緒に修行した旧友に出会い、彼から法然上人の「阿弥陀仏の本願」を聞き知るのです。

 これこそ、彼が探し求めていたものでした。真理はもっと深いでしょうが、要するに「そのままでいいんだよ。煩悩がいくらあっても、仏様は救ってくださる。それが悪人であろうとも、万人を平等にお助けになられるんだよ」というものでした(素人が簡易に書いたものです。本当はそんな単純なものではないでしょうが、ここはただの映画の感想だということでご容赦ください)。

 やっと救われた親鸞は、仏門にいながら妻を娶り、肉食を受け入れました。おそらく、僧でありながら公に結婚したのは親鸞が初めてだったのではないでしょうか。もちろん、敵対する勢力もありましたし、彼の思想は伝統的な修行を否定するものとみなされ、後に比叡山延暦寺や興福寺などから批判が高まり、朝廷に訴えられたこともあったようです。最終的に彼は越後への流罪となったようですね。

 親鸞なんて言うと、社会の授業で「法然は浄土宗、親鸞が浄土真宗」「悪人正機説」と習ったくらいで、詳しいことは知らなかったのですが、きれいなアニメーションでわかりやすく話が進み、本当に勉強になりました。たまにはこういう映画も見なければですね。
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