■「教育熱心」と「教育虐待」の境界線は?背景に子育てへの不安も…起こさない“心構え”を専門家に聞く【ひるおび】
(TBS NEWS DIG - 05月16日 17:07)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=8314562
大学受験のための幼少からの教育はバカげていると思うが、習い事(ピアノや習字)はある意味運もある。まずは大学受験のための幼少からの教育がバカげているのはそもそも何かを学びたいという意欲、ここは習い事も同じかもしれないが自発的なところから来ないと上手くいくはずがない。そもそも「何のための」というところがないのに親が強要したところで身に付く恥も無いし、恨みを買うだけだろう。
明治維新の立役者たちは中には幕府の家老で優秀なものが居たかもしれないが、多くは地方の藩の下級武士だった。彼らは一定の学問を受けていただろうがそんな大学受験のような猛勉強を親から強要されたわけではなかっただろう。世界情勢を知り、今自分がすべきことを自分で考えて学問をやったというのがプロセスだ。そう考えると親から強要される学問と言うより、そこそこ大きくなった頃に社会問題を一緒に考えて子供の意見を言わせたりそう言うことの方が大事だと思う。そこで問題意識を持つことでいろいろ調べるようにもなるだろうし、子供の手に負えないことは親が支援するようなある種の「見守り」が必要だろうと思う。その結果が大学進学なら素晴らしいことだと思うが、親の強要だと戦争に行かされるようなものでモチベなど上がるはずもない。
ところが習い事というのは同じでありながらまた別の意味がある。
詰め込み学問は何の技能も有しない、単に記憶力の良いものが得をするものだが、絵とか音楽、ダンスやスポーツとかそういうものは子供の判断や親の見立てでは計り知れない潜在能力があるかも知れない。それを開花させるには無料の体験教室のいくつも行ってみて自分に合いそうなものを選ぶという点ではやっても良いと思う。当然そこで子供は「面倒」とか「行きたくない」と言うかもしれないがそこは親が無理やりでも連れていきやらせても良いかも知れない。やってみたら意外に楽しかったとか、興味が出て来たとか言うこともありうるので。しかし、やってはいけないのか行ったけどやっぱり興味がないと言っているのに親の趣味で無理やりやらせることはダメだと思う。
私などもスポーツは全く苦手だったが絵は興味があったが当時はそういう習い事の環境が無かったためやらなかった。音楽教室も自分の勝手な判断で「ピアノは女がやる楽器だから行かない」と断ったが今は趣味で作曲している。中学に出会った音楽で雷に打たれてというありがちなことだったがこんなことならピアノを習っておけばよかったとか字が下手なので習字もやっておけばよかったとか、計算が苦手なのでそろばんやっておけばよかったという後悔があったりもする。だからといってやっていたから良かったことにならなかったかもしれないがやはり子供の頃にやるのと年を重ねてからやるのとでは習得の時間も理解も早さが違うと思う。
それを考えるとその時にやりたいと思うか思わないか、親の言うことに従うか従わないかというところ、運もあるなと思う。
私の子供は小学生だが絵を描くのが下手だったがちょっと描くコツを教えたら結構早くに上手くなったのでそれから模写が好きになった。そういうケースもあるからやはりその時々の気分や成功体験とか運もあるのだと思う。
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