■田中熙巳代表委員の講演全文=ノーベル平和賞
(時事通信社 - 12月10日 22:31)
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僕は、被団協の方々の活動に敬意を表するとともに、(まだまだ活動の途中とはいえども)ノーベル平和賞という栄誉を勝ち得て世界的に核廃絶の必要性を知らしめたことは賞賛に値する素晴らしいことだと思っている。
ところで、田中さんの講演の中で注目した点について一点指摘してみたい。それは、被爆者に対しては、医療などの社会保障給付はあるが、戦争損害に対する国家補償は全くなされていないという点についてだ。
この点に関しては、戦争損害受忍論という考え方があってそれは、戦争損害というものは国民のひとしく受忍しなければなら ないものであり、これに対する補償は、憲法の全く予想しないものであるから国は補償する必要はないという考え方のことをいう。 この考え方は、判例も認めている(最大判S43・11・27民集22・12・2808など多数)。戦争損害受忍論という考え方からすれば、田中さんの主張は認められないことになる。
しかし、国家が政策実現手段としての戦争を選択した以上、臣民を徴兵制により戦地に送り出したり、己の戦略のまずさ故に数々の海戦に大敗し、また本土への空襲により多数の民間人の犠牲者を出したり、極めつけは、広島、長崎に原爆が投下され数十万人の命が一瞬のうちに奪われてしまったりしたことを無視すべきではないのではないか。
国家が、己の選択した手段により300万人以上の犠牲を出しておきながら民間人には全く補償がないというのはおかしい。他方で、国は軍人や軍需工場労働者とその遺族には恩給や年金を支給したそうだ。その累積支給額は、60兆円にもなるらしい。そして、民間人に支給しないのは国家との雇用契約がないからだという。
個人的には、国家は、己の決めたことで国民に被害が生じた場合は、国が補償すべきだと思っている。被爆被害については、アメリカに一番の責任があるとは思うが、「一億玉砕」などと愚かな精神論を掲げてあくまでも戦争を継続しようとした日本に責任がないという理屈は通らないと思う。
また、大日本帝國と日本國は違うという見方も許されないと思う。政治体制が、立憲君主制から立憲民主制に変わった場合でも、新体制は、過去の負の遺産を引き継ぐべきであると思う。
日本政府が、これまで戦争損害を基本的に補償してこなかったのは、己の失敗を認めたくないからだろうし、アメリカに守られ繁栄した手前アメリカに遠慮しているからだろう。
しかし、そういう卑屈な態度はどうかと思う。過去の過ちは認めるべきであるし、アメリカに敬意を表しつつも言うべきことは言うべきだと思う。
こういったことをつらつら考えていたら「もはや戦後ではない」なんてとんでもない。日本は、まだまだ戦争を引きずっている。
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