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2024年11月25日15:13

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テレビを見れば。。。。part0398


さて、アホ中尉からかってないで博士の新論考の感想に行きますか(-_-;)、とコメント記事で返答するつもりが思っていたよりずーーーっとヘビーになってしまったので久しぶりにこっちで返答します、という事で「緊急連載」北方領土史第29弾、「改訂版」その8。まず俺側の反省は榎本武揚・小栗忠順を実務派官僚としていた事、謹んでこれを撤回します。確かに高等ANARCHIST、"佐幕派"である俺の見解は、


対"新政府"抗戦に「義」あり、東武帝擁立・蝦夷独立は問答無用の「反逆」とみなします


、なかなか分かってもらえない"立場"ですが(-_-;)。ドイツ統一における「南独諸国」の思想的立場に少し似ていますね、厳密にはもう少し精緻に「法理論」組んでから公表します。俺的にはロシアの日本侵略開始は1697年ですが原初的には1643年です、年表で示すと


●、1643年、セミョーン・シェルコヴニコフ率いるロシアコサック部隊がオホーツク市を建設

●、1650年、ロシアの豪商エロフェイ・ハバロフが百数十名のコサック兵と正規兵を引き連れ清の建てたヤクサ(雅克薩)城を奪ってアルバジン城と改名する。以後露軍アムール中下流に侵攻。

0、1653年清(満州=蒙古二重)帝国がロシアが築いたハバロフスク城を攻略、アムール川下流域から露軍を叩き出す。

●、1655年クズネーツというロシアコサックが指揮する600人ほどの露軍部隊が樺太北西部を劫掠。

0、1658年清(満州=蒙古二重)帝国が松花江河口の水戦でロシアのアムール川艦隊を殲滅、アムール川中下流域から露軍を叩き出す。

0、1659年清(満州=蒙古二重)帝国がロシアのアルバジン城を殲滅、アムール川流域から露軍を叩き出す。

●、1665年、露軍がニキフォール・チェルノゴフスキーを頭に立ててアルバジン城を再占拠、傀儡政権・ヤクサ(JAXA・笑)王国を造らせる。これだから露軍こえーよ(怒)。

⓪、1669年シャクシャイン叛乱鎮圧、"渡党の乱"が最終鎮圧される。

0、1673年清(満州=蒙古二重)帝国が「三藩平定戦争」に突入する。

●、1673年ロシアが傀儡政権・ヤクサ(JAXA・笑)王国を取り潰し自国へ併合。

0、1681年1673年清(満州=蒙古二重)帝国が「三藩平定戦争」に勝利し、対露北伐再開。

0、1686年清(満州=蒙古二重)帝国がロシアのアルバジン城を殲滅、アムール川流域から露軍を叩き出す。

0、1689年清(満州=蒙古二重)帝国がシベリア遠征を企図するとロシアは慌ててネルチンスク条約を結び国境画定交渉を妥結させる。

❶、1697年ウラジーミル・ヴァシーリヴィチ・アトラソフ率いるロシアコサック部隊が勘察加(カムチャツカ)を劫掠の上「占領」。

�◆■隠沓娃闇�に松前藩があわてて勘察加(カムチャツカ)は自国領と幕府へ申請する。

❸、1711年ダニラ・ヤコヴレヴィチ・アンツィフェロフとイヴァン・ペトロヴィチ・コズイレフスキーが率いるロシア軍が「日本固有の領土」である千島列島の占守島・幌筵島に侵攻を開始。

➍、1713年占守島・幌筵島の千島アイヌが「全滅」(ToT)。

❺、1722年拉致した北海道アイヌを脅迫して北海道と千島列島の仔細な海図の作成。

➏、1731年国後・択捉アイヌが松前藩主に後詰め(増援)を要請、藩主これを拒否。

❼、1739年ロシア艦隊が海図検証の為千葉県沖まで偵察航海を実施。

❽、1747年生き残った千島アイヌに対するロシア正教への強制改宗政策始まる(怒)。

❾、1766年イワン・チョールヌイ率いるロシア軍が得撫・択捉両島へ侵攻、松前藩防衛出動を拒否。

��、1770年得撫・択捉両島のアイヌが連絡を取り合いに「一斉蜂起」してロシア軍を自力撃退。

��、1771年ロシアに抑留中のハンガリー人"反露"海賊モーリツ・ベニョヴスキー"中佐"が勘察加(カムチャツカ)を脱走、ロシアの千島侵略を長崎オランダ商館長に「告発」する。

⓬、1776年ドミートリィ・シャバーリンとイワン・アンチーピン率いる露軍が前々年松前藩御用商人飛騨屋と揉めた国後アイヌの酋長ツキノエを味方につけ国後島までの全道東諸島を占拠。

��、1781年工藤平助が「赤蝦夷風説考」を著し、江戸期海防論の決定版「海国兵談」を林子平が1791年に上梓する。

��、1782年天の助けか大地震が起こり得撫島のロシア軍基地が壊滅、露軍千島諸島北部へ撤退(笑)。

��、1785年幕府が老中・田沼意次の主導で最上徳内をはじめとする「幕府正式調査隊」が結成され本格的な実態調査が始まる。

�亜■隠沓牽暁�最上徳内「幕府正式調査隊」最上徳内が得撫島に上陸し調査開始。

⓱、1787年政変が起こり田沼老中が失脚、「典型的な閥族(バカ殿)派」松平定信が権力を握り「幕府正式調査隊」には帰還命令が下る。

�押■隠沓牽糠�再び請負人飛騨屋と国後島の酋長ツキノエが露軍背景に叛乱、クナシリ・メナシの乱が発生するも即時鎮圧される。

⓳、1792年露軍のアダム・キリロヴィチ・ラクスマンを通商に名を借りて北海道沿岸を軍事偵察する。

�粥■隠沓坑廓�危機感を持った松平信明を始めとする幕閣がロシアを北辺に引き入れようとする「典型的な閥族(バカ殿)派」松平定信を追放する。

21●1794年ロシア軍がズヴェゾドチョトフという男を隊長にして得撫島に最侵攻、軍事基地を再建。

22、1799年露軍のニコライ・ペトロヴィチ・レザノフがアラスカ侵略のため露領アメリカ会社を設立。

㉓、1799年松平信明老中が主導し東蝦夷地を幕府直轄領に編入する。

㉔、1801年富山元十郎率いる幕府軍が得撫島へ侵攻「天長地久大日本属島」の標柱を建立し得撫島を奪回。

25●1804年松平信明老中が突如失脚、後任は戸田氏教は越智武元老中の実子なのに閥族(バカ殿)派という自民党型の鵺的人物(苦笑)。

㉖、1804年露軍のニコライ・ペトロヴィチ・レザノフがラクスマンの尻馬に載って長崎に来航、当然「通商」に名を借りた侵略行為を拒絶する。

㉗、1806年天の采配か戸田氏教がポックリ死んで、松平信明老中が筆頭老中に再任される。

28●1806年露軍のニコライ・ペトロヴィチ・レザノフが部下のニコライ・フヴォストフに樺太・択捉島・利尻島等に軍事侵攻、幕府は東北諸藩に出兵を命じこれを撃退する。

㉙、1807年幕府は松平信明老中主導で全蝦夷地の「収公(幕府直轄領化)」を断行、幕府の最精鋭部隊・会津藩を含む東北各藩に対して全蝦夷地への出兵を下令。

㉚、1808年幕府偵察部隊(隠密)の精鋭・間宮林蔵が樺太・沿海州を偵察し「大日本国国境」の標柱を建てる。

㉛、1808年幕府は会津藩をはじめとする主力部隊に帰還を命令。

32●1811年露軍のヴァシリー・ミハイロヴィチ・ゴローニンが国後島に侵攻、民間船を拿捕して実務派直系の御用商人・高田屋嘉兵衛を拉致する。

33●1817年松平信明老中が過労死、後任は実務派の水野忠成。

34●1821年実務派の水野忠成が閥族(バカ殿)派に寝返り、翌年蝦夷地を松前藩に返却し「北方警備体制」を解体(怒)。

㉟、1829年親ロ閥族(バカ殿)派の親玉・松平定信がくたばるり、後継めぐり閥族(バカ殿)派が内ゲバに陥る(笑)。

36●1834年水野忠成もくたばるが、実務派は復活できず水野忠邦が権力を握り「新閥族(ネオバカ殿)派」を結成し反対派弾圧の為に「天保の大獄」を始める。

37●1835年当たり前だが既に始まっていた「冷害」を水野忠邦は商業弾圧で強烈ブーストし「天保の大飢饉」を招き餓死者続出、国力落ちる落ちる(ToT)。

38、1841年清(満州=蒙古二重)帝国と大英帝国がアヘン貿易をめぐり貿易(アヘン)戦争に突入する。因みにアヘン戦争を明治維新の遠因とするの極左が流した「大嘘」、序に書いておけば清(満州=蒙古二重)帝国には「アヘン専売公社」があり、当時のチャイナでは「合法嗜好品」だった。

㊴、1843年堪りかねた阿部正弘老中を始めとする実務派官僚が閥族派の土井利位を押し立てて水野忠邦を追放する。2年後、阿部正弘を筆頭老中として実務派政権を復興、田沼時代以来の宿願「開国」へ向け一挙に動き出す。

㊵、1845年実務派・阿部正弘老中が「開国」へ向け国防組織「海岸防禦御用掛(通称・海防掛)」を設置する。

㊶、1847年実務派・阿部正弘老中が自ら求め3年前に水野忠邦に握り潰された「オランダ国王ウィレム2世の開国勧告親書」の代わりの「オランダ商館長の開国勧告書」を手に12代将軍徳川家慶に「開国」を上申。

42●1849年露軍のゲンナジー・ネヴェリスコイ北樺太に侵攻無断上陸する。

㊸、1849年幕府松前藩に築城を含む北方警備の強化を下令。

㊹、1851年「新閥族(ネオバカ殿)派」首領・水野忠邦がくたばり、「新閥族(ネオバカ殿)派」が内紛状態に陥ったのを好機に"開国断行"を決断、諜報作戦に入り翌年オランダ商館経由でペリー来航を探知、日本に誘導する開国作戦を発動させる。

45、1851年清(満州=蒙古二重)帝国でカルト宗教団体・拝上帝会が人類史上最悪の宗教大反乱を起こす人呼んで太平天国(実は客家)の乱。

㊻、1853年阿部正弘老中率いる幕臣・実務派がペリーを無事日本に誘導し翌年日米和親条約を締結「予定通り」日本を開国(欧州式国際法秩序への参入)させる。ここまで、最初の開国構想から73年、露軍の日本侵略開始から156年経過していた。

47●1853年西シベリア総督のムラビヨフが部下のゲンナジー・ネヴェリスコイにネヴェリスコイに樺太侵攻を下令。北樺太北端クエグト岬・久春内・久春古丹に軍事侵攻し軍事基地建設

48、1853年なんとカルト宗教団体・拝上帝会が南京を陥落させ太平天国建国を宣言Σ(OoO)。

㊾、1855年実務派・阿部正弘老中が松前藩を実質的に転封させ全蝦夷地を再び「収公(幕府直轄領化)」し東北諸藩の兵力を北上させる。

50●1855年「新閥族(ネオバカ殿)派」の川路聖謨が信じられない事に防備固めてすぐの樺太に露軍を引き入れ、千島列島に得撫島まで含めてロシアに譲渡する「国家反逆条約」日露和親条約を締結する。

51、1856年アロー号事件を発端に清(満州=蒙古二重)帝国が第二次貿易戦争に突入する。

52○1857年実務派・阿部正弘老中が松平信明老中に引き続き"過労死"してしまう、実務派は後継を出せず混乱し開明的な「閥族派」と提携関係を結ぶ。

53●1858年太平天国(実は客家)の乱・第二次貿易戦争のダブルパンチを喰らった清(満州=蒙古二重)帝国にロシアがアイグン条約を飲ませアムール川上中流域左岸を割譲させ、沿海州を雑居地(露軍侵攻勝手)とする。

54●1860年第二次貿易戦争での英仏軍の北京侵攻された清(満州=蒙古二重)帝国にロシアが"仲介者"面したロシアが北京条約を飲ませ沿海州を正式割譲させるる。遂に樺太対岸までロシア領が迫る。

55○1861年調子に乗ったロシアが日本海制海の為に対馬へ侵攻、安藤信正と水野忠徳のコンビが勝麟太郎をクーリエに使って英国と提携し外交的無血撃退に成功する。

56●1862年桜田門外の変で井伊直弼大老を失い統制力を低下させた幕府は元凶・川路聖謨も切腹させないまま露軍の劫掠激増した樺太を安定させる名目で幕吏・竹内保徳を露都に派遣するも当然ゼロ回答。

57、1864年第二次貿易戦争講和で英仏軍を味方につけた清(満州=蒙古二重)帝国が南京を回復、太平天国(実は客家)の乱を鎮圧する。

58●1867年閥族(バカ殿)派・小出秀実が露都で悶絶するような出鱈目条約「日露間樺太島仮規則(樺太割譲条約)」を調印、当然の様に露軍は増援部隊をブッセ湾に上陸させ侵略体制を強化する。因みにこの条約前3年間のみ「閥族派・新閥族派」の"直系"が老中首座を独占する。

59●1867年「大政奉還」、江戸幕府が自己崩壊、勝麟太郎始め"裏切り・寝返り"続出で「日本国朝廷」がアッという間にTERRORIST集団に乗っ取られ「新政府」が組織される。

60○1868年「新政府」内部に辛うじて残っていた"良識派"がTERRORIST集団を宥め賺しつつ「尊皇攘夷思想(後期水戸学≒儒家神道)」とは"真逆"の「五か条のご誓文」を上奏し明治大帝の決で「新政府」は「江戸幕府(井伊直弼派)の対外政策」を継承する事を定める。因みに長州人TERRORIS桂小五郎がゴリ押しした第4条だけは「旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」とケッタイ極まりない「尊皇攘夷思想」を外した「後期水戸学≒儒家神道」的規定で言外に「弑逆」思想を秘めている(-_-#)。

61○1868年"日本国崩壊"の危機だったが間一髪で"明治大帝"による東京奠都ノ詔書が発布され「東京行幸」が実施される。TERRORIST新政府は「江戸幕府」の後継機関としてその組織・人材を継承する。あっぶねーーーーーΣ(OoO)。

62●1871年長州人TERRORISTとツーカーの薩摩人ANARCHIST黒田清隆が悶絶の「樺太放棄論」をぶち上げる、これが日本の「南進論」事始め(怒)。

63●1873年長州人TERRORISTとツーカーの西郷キチの助始め薩摩人ANARCHISTが新政府建設&北方境界危機の真っ最中に悶絶の「征韓論」を唱え"侵略戦争"を起こそうとする。明治大帝の勅裁で"無期延期"(笑)。

64●1874年明治大帝の勅裁で侵略戦争を"無期延期"された薩摩人ANARCHISTが腹いせに西郷キチの助の弟・リュー助を押し立てて再び「南進」の為何の関係もない台湾に攻め込む(怒)。しかも一坪の土地も取れずに「ボロ負け」(苦笑)、清に日本領「沖縄」を認めさせたのは瓢箪から駒の怪我の功名。

65●1875年長州人TERRORISTとツーカーの薩摩人ANARCHIST黒田清隆が主導して幕臣系ANARCHIST榎本武揚を抜擢し悶絶というか殺意さえ沸く千島樺太交換条約を締結させる。因みに黒田の子孫はIR(博打)推進協議会長、榎本はメキシコ移民の推進者で「超・南進派」、ヤクザの血は争えんね(苦笑)。

66●1877年西郷キチの助が主導していた薩摩人ANARCHISTが政府主要部をツーカーだったはずの長州人TERRORISTに全て押さえられ"侵略戦争"開戦の「征韓論」も否定され、自ら起こした台湾出兵にも惨敗してヒステリーを起こし西南戦争という「国家反逆事件」を起こす、当たり前の様に惨敗する(嘲笑)。弟・リュー助一家含めて「基地外」一族全員ぶち殺しておくべきだったんだよ(-_-#)。一言だけ情状酌量しておけば武家の名門薩摩島津家の表れた最初で最後の"バカ殿"「久光」の影が全ての事件の背後にチラホラ見える事かね(-_-;)。

67○1881年 国会開設の詔。

68○1885年内閣制度発足。

69○1889年大日本帝国憲法発布、明治維新における国内体制整備完了。

70●1895年22年遅れで「征韓論」に基づいた韓国(李氏朝鮮)への軍事侵攻始まる(怒)。韓国"丸取り"の基地外政策開始、マゾ民族など放っとけよ(-_-#)、済州島・珍島・旧竹島・場合によっては江華島等の対馬海峡制海に必要な戦略的要地のみ占拠して"割譲"を馬鹿ン国に飲ませればよかっただけ(怒)。「独立」なんぞ大きなお世話(怒)。因みに露軍と清軍は満州巡って係争中であり、清軍を対露緩衝材とするのが得策だった。日本がこの時狙うべきなのは議論の余地なく「裏塩」だよ(怒)。


序に書いておけばロシアの「シベリア侵略」は1582年のイェルマーク遠征を契機にチュメニ1586年→1587年トボリスク→1618年エニセイスク→1628年クラスノヤルスク→1632年ヤクーツク→1643年オホーツクと進みました、決定的契機はハックナザル・カンに始まカザフ族南遷(シビル蒙古族の第三次南下政策)だとおもいます、


「雷帝戴冠」は1576年の事、ハックナザルとイワン雷帝の動きは完全に連動しています


から(-_-;)、話を日本国内に戻せば、「法の君主論」第5弾「承平天慶(平将門・藤原純友)の乱編 」でも述べましたが俺も博士も含めて日本人は「国史」の"海外からの影響"に疎過ぎると思います。上記、年表を見れば明らかなように、


"シャクシャイン叛乱"と"クナシリ・メナシの乱"も明らかに「露軍」の動きと連動しています。


ツキノエなんてあからさまに露軍"引き込ん"でますし、ゴローニンは明らかに日本側の「要人行動情報」を閥族(バカ殿)派から提供されていました(-_-#)。西郷キチの助・リュー助の「基地外兄弟」がロシアと連動していた証拠はいまの所在りませんが、


島津久光の周囲を洗ってみるべきですね。


"シャクシャイン叛乱"についても渡党経由でのオホーツク露軍との関係を俺は強く疑っています。日本と切れて「砂金」のはけ口どうするかアホのシャクシャインでも算段あったはずです、自分の実入りに直接響くし、クイ(アイヌ)は商業依存型ノマドで自給が出来ず、経済封鎖かけられたら「全員餓死」ですから。それと幕末期以来の日本人の「人格劣化」問題ですが、俺は


宗教的狂信「神州不滅妄想」に従った日本国民全員の「バカ殿」化だと見ています(-_-#)。


江戸末期の「閥族(バカ殿)派」ほんとイカれてますから(怒)、井伊直弼候のような「現実主義者」は超稀です、その「閥族(バカ殿)派」は昭和期で云えば「皇道派」とそっっっくりです(-_-#)、稀に井伊直弼候・石原莞爾中将の様に比較的マトモな人が稀に出ますが基本「極左"妄想"主義者」です(怒)。彼らは幕末維新期に薩長TERRORIST・ANARCHISTにすり寄って「免責」されました、最低限「改易」するべきだった(-_-#)。博士には申し訳ないが


「殺人散財は一時の禍にして士風の維持(痩我慢≒道徳)は万世の要なり」


という福沢諭吉の言葉が「令和の世」には心の奥底から骨身に凍みますよ(黒笑)。「事実」はどうでもよし、「(大概自分の)都合」"だけ"が大切、それが許されちゃうんですから世の中ドンドンANARCHYになりますよそりゃ(-_-#)、明治維新以来、「人の心」を持つ"有能者"を使い潰しにしてきたんです俺達は(怒)、もう残っていません、博士が鬼籍にはいればPPM、俺がくたばればZEROでしょう、最後の足掻きです、


「学問」だけでもそれ「なし」にしませんか?


「学問(文字)」は永遠です、いつ、どこで、誰が紐解くのかは問題ではありません、それが「可能」であるという事だけが俺達に残された唯一の希望なのだと最近つくづく感じています。ふーーーーーーーーーーー、取り合えずまた仕事なので今日はここでアップします。


おまけにみくしー検索かけてみました。

「北方領土」

日記 検索6件ひっと。

「ロシア」

日記 検索255件ひっと。

「亡国」

日記 検索7件ひっと。



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