本日の世見 2024年9月04日(水曜日)
『八木アンテナ』
日本には、素晴らしい天才がいました。
私が30歳の時に天国に旅立たれた、八木秀次教授と高弟の宇田眞太郎氏です。
「八木アンテナ」。
今の若者はこの名も知らないかもしれませんが,ただ八木先生は、日本を敗戦国とするのに一役買ったということで、戦後はとても辛い思いをさせられました。
「国賊」と呼ばれたのですからね。
私ね、「娘時代お会いした人はいますか」と聞かれたら、「八木秀次先生」と答えたくなっていましたからね。
先生が国賊といわれた理由は、先生が発明された八木アンテナの性能が優れていたからです。
日本にとっての悲しい出来事の中に、広島と長崎に落とされた原子爆弾があります。
あの原子爆弾、原爆の威力を最大限に高めるためには、原爆が一定の高度に達した時に爆発させなくてはいけません。
そのことを可能にしたのが八木アンテナでした。
どんなにすばらしい発明でも、当初は国内の評価はとても低く、私財を投じた八木先生でしたが、特許も延長できずに無視までされていたのです。
第二次世界大戦が勃発すると、八木先生が発明した八木アンテナは、欧米諸国で脚光を浴び「レーダー」「爆撃弾」といった軍事用のアンテナとして活用されるようになりました。
日本軍が八木アンテナの存在を知ったのは、日本軍がシンガポールを占領した時のことです
敵軍のレーダーと、その操作マニュアルを見付けた時のことです。
そこに書かれていたのが
「YAGI」という横文字でした。
レーダーのアンテナの発明者が日本人の八木先生であることを、この時知ったのです。
八木先生は生前、長期間にわたり、広島原爆の被爆児へ学費を匿名で送り続けました。
人にはいろんな生き方があります。
八木先生の生き方を、あなたはどの様に思われますか。
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