【放送文化基金賞】黒柳徹子に放送文化基金50周年賞 「みんなが思うほどテレビはダメになっていない」100歳まで現役宣言
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『第50回放送文化基金賞贈呈式』が行われ、放送文化基金50周年賞を黒柳徹子(90歳)が受賞ですか。黒柳徹子と言えば、19歳だった昭和28(1953)年2月1日のテレビ放送開始日からテレビ出演を続け、女優、司会者、タレントとしてテレビ、ラジオと放送業界の第一線に在り続け、まさに日本の放送史には欠かすことのできない人物で、今日、その代名詞的存在と言える『徹子の部屋』は前身の日本教育テレビ(NET)時代の昭和51(1976)年からテレビ朝日で放送され、49年目を迎えてトーク番組の最多放送世界記録を更新中で、記事では、「その持続力、足跡はまさに日本のテレビ文化を具現化し続けたものといえる」ことを受賞理由としていますが、『徹子の部屋』放送開始の直前には米国留学を経験しており、様々試行錯誤を行いながらの業界人としての歩みと言う一面もあった人でもあります。
その業界人としての歩みに深く関わった一人に、同じ昭和8年生まれの永六輔(1933〜2016)がおり、昭和30年代後期にNHKで放送された人気テレビ番組『夢であいましょう』で、黒柳徹子が出演者、永六輔が放送作家として関わっていました。坂本九(1941〜1985)が歌い、永六輔が作詞し、中村八大(1931〜1992。『笑点』のテーマソングの作曲者として知られる)が作曲した『上を向いて歩こう』が「今月の歌」として紹介された番組でもあり、初期の日本のテレビ史に重要な足跡を残した番組でもありました。黒柳徹子と永六輔は初期のテレビの歴史を築いた“戦友”的存在でしたが、永六輔がテレビの世界から距離を置くスタンスに転じた一方、黒柳徹子は米国留学を挟みながらテレビの世界に戻り、その「タマネギヘア」で『徹子の部屋』や『ザ・ベストテン』などで司会者として活躍、『世界ふしぎ発見!』での名物解答者ぶりでも印象を残している、と言うのが、その業界人としての歩みと言えるでしょう。
記事では、司会を務めた元NHKアナウンサーの三宅民夫から「最近のテレビは、どう思いますか?」と問われたのに対して、「そんな難しい問題を私におっしゃるんですか?」と苦笑いしながら、「もうちょっとダメになるかなと思ったこともあったんです。だけど、このごろは見ていると、そんなことはないな、と思って。志を持っている人はいっぱいいると思います。そういう方たちがいいものを作ってくださる。私は、そういう番組を見て、素晴らしいなと思うんです。みんなが思うほどテレビはダメになっていないと思います。断固として申し上げますけど、いい番組はたくさんあります。お世辞じゃなくて、そう思います」と断言したとしており、その上で、「視聴率ってみんなが言うから、そのことばっかり気にしちゃうけど、そんなこと心配しなくてもいい。本当に面白いものを作れば、人は見てくれる。私は信じています。大丈夫です」と語ったそうですが、ネットやSNSなどの台頭の一方で“オワコン”の様相にあると言われて久しい感のあるテレビ業界には、大きな力になる一言となったのではと思います。
記事では、自身について「ますます励みをいただいたような気がして。少なくとも100歳まではテレビに出ていようと思います。優しい心で見守ってやってください。頑張りますので、皆さんも頑張ってください。元気でいること、正直にテレビをやることが本当に大事だと心から思っています」と力強く語っていたとしていますが、さすがに、声や様々な仕草などを見ていると、その加齢から来る“衰え”は否めないかもしれませんが、そういうポジティブな姿勢は相応に評価して良いのではと思います。
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