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2024年06月17日04:51

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226事件での石原莞爾の行動


二十六日の午後「東溜之間」で、参議官連中が説得案をいじくっている中。石原莞爾は閣議室の方へ行こうとする川嶋陸相をつかまえて「とに角早く戒厳を布きなきなさい。叛乱が全国に飛火したらどうしますか。全国戒厳だ。東京だけでは駄目だ」と追求しました。

川嶋陸相が「まあまあ、いま閣僚と相談するから」というと、石原莞爾は更に「この期に及んで、相談などと悠長なことは言っておられない。全国に飛火したら日本はどうなる。一瞬を争う時です。すぐ戒厳令の公布を奏請しなさい。何の為の単独上奏ですか。 すぐおやりなさい」と、閣議室まで陸相を追いかけて言ったといいます。

閣僚は石原莞爾が入って来たのでびっくりして「統帥部との直接交渉はおことわりだ」といった。しかしその明快な進言を聞いて、偉い男だと感心した人もあった。閣僚中でしっかりしていたのは町田商相と山本逓相であったということです。

実際、不穏な行動は地方にもありました。不逞の徒の蠢動も策せられ、去就に迷う軍隊への飛火もあながち杞憂とのみは言えない状態だったのです。27日午前3時、戒厳令は公布されました。戒厳司令部は東京警備司令部を主体として構成され、司令官は香椎中将、参謀長は安井少将、石原大佐も作戦課長を兼任しました。

九段下の軍人会館が司令部にあてられました。夜明前、戒厳司令部が、叛乱部隊は小藤の指揮に属し、歩兵第一連隊の兵営に集合するよう部署することになった。この日奉勅命令が下った。奉勅命令というのは、勅を奉じて参謀総長が命令するのです。

杉山次長は、この命令の御允裁を仰いだ時「皇軍相撃つことを避くるため、軍事参議官が部隊長とともに説得中につき、戒厳司令官に命令交付の時機は参謀総長に御一任下さるよう」言上して御許を得たのです。この奉勅命令はすぐ戒厳司令に内示されたのですが、本交付は翌28日午前5時ということになったのです。

この日朝来、北一輝は事変の収拾に手間どっては大変だと善後処置について苦慮しつつありましたが、午前10時頃「人無し、勇将真崎あり、国家正義軍のため号令し、正義軍速やかに一任せよ」との霊告がありました。

西田は村中、磯部に電話をかけ、全員一致無条件で真崎大将に時局の収拾を一任すること、軍事参議官にも趣旨を懇請すること、上下一致の意見として上奏実現すること等を教示しました。午後5時頃、真崎、阿部、西の三参議官は叛乱将校と陸相官邸で会見することになれました。叛乱軍の将校からは、教示事項をそのまま持ち込んで来ました。

阿部大将は、「真崎大将が若しその衝に当ることになれば、我々はこれを支持するであろう。また適当な方法があったならば、これに協力するであろう」と答え、真崎大将からは、「戒厳令は奉勅命令である。これに反抗する時は錦旗に反抗することになるぞ。大局を達観して軍長老の言を聴け。小藤大佐の指揮下に入って引き取るがよかろう」と諭された。

両大将の観測は説得の見込み七、八分ということでした。この頃になると、甲府や千葉の部隊も続々上京して来ました。重砲は日比谷に放列を布いたし、戦車もやって来ました。飛行機も出動準備にかかっていました。27日の夜半、叛乱軍の将校が泊っていた陸相官邸に奉勅命令が下ったことが伝わりました。

彼等は機関銃を配置するなど、急に警戒を厳重にして来ました。午前3時頃、陸相官邸から山口大尉が、小藤、鈴木の両大佐とともに戒厳司令部にやって来ました。小藤大佐は歩第一の連隊長、鈴木貞一大佐は企画院に在勤中、山口大尉は叛乱部隊の出た歩第一連隊の事件当日の週番司令で、直接参加はしなかったが、その行動を支持していた。

戒厳司令部では、幕僚一同二階の司令官室に集まって、軍使というよりも、仲介者格の三人の話を聞くことになりました。まず鈴木大佐から「私はこの事件が起きた時、すぐ弾圧すべきだと思った。しかし今となっては弾圧は考え物だ。この事件をきっかけとして、昭和維新へ持って行くべきである」というような意味の発言がありました。

その次は小藤大佐から発言あったが、叛乱部隊がその連隊から出たせいもあったろうが、何のことだか要領を得ず、この両大佐が前座をつとめたわけで、山口大尉が真打ちです。「今陸相官邸を出て、陸軍省脇の坂を下り三宅坂の寺内銅像の前にさしかかると、バリケードがつくってあった。 半蔵門からイギリス大使館の前にかけて、部隊が屯している。」

「戦車も散見する。あのバリケードは何の為のバリケードだろうか。あの部隊は何の為の部隊だろうか。そうして物影にかくれている戦車はどんな意味だろうか。聞くところによれば、明日蹶起部隊の撤退を命じ、聞きいれなければこれを攻撃されるという。」

「蹶起部隊は腐敗せる日本に最後の止めを刺した首相官邸を、神聖なる聖地と考えてこれを占拠しておるのである。そうして昭和維新の大業につくことを要望しておるのに、彼等を分散せしめて、聖地と信じておる場所から撤退せしむるというのは、どういうわけであろうか。」

「しかも同部隊はすでに小藤部隊に編入され警備に任じておるのに、わざわざ皇軍相撃つような事態を惹き起こそうというのは一体どういうわけであろうか。皇軍相撃つということは、日本の不幸これより大なるはない。同じ陛下の赤子である。皇敵を撃つべき日本の軍隊が、鉄砲を相交えて互いに殺戮しあうようなことが許されるべきことであろうか。」

「今や蹶起将校を処罰する前に、この日本を如何に導くかを考慮すべき時である。昭和維新の黎明は近づいている。しかもその功労者ともいうべき皇道絶対の蹶起部隊を名づけて叛乱軍とは、何ということであろう。どうか皇軍相撃つ最大の不祥事は未然に防いでいただきたい。奉勅命令の実施は無期延期としていただきたい」と声涙共に下って語り出したのである。

森閑とした真夜中、場面場面だけに心打つものがあり、真打ちとして彼の発言は効果百パーセントかの如く見えた。その間、香椎中将は呼鈴を押してボーイを呼び茶菓子を運ばせ、しきりに山口にその茶菓子をすすめて興奮した空気をやわらげることに努めていたという。

そうして「まだ攻撃に確定したわけではない」など口ごもった言葉で発言していたという。水を打ったような静寂の中で、山口は一語また力をこめて、どうしても同意させずにはおかないという気魄が面に溢れた。一座は緊張した顔で傾聴していた。時余にわたって説き去り説き来って進言は終った。

誰も発言する者もなく、死のように重苦しい空気がこの部屋を支配した。突然大きなテーブルの方にいた石原莞爾が立上った。静かな声で「直ちに攻撃、命令受領者集まれ」と言い残してそのまま部屋を出た。それからドアの前で、各隊の連絡者に向って「軍は本28日正午を期して総攻撃を開始し叛乱軍を全滅せんとす」と。

続いて爆撃隊の出動、重砲の砲撃、地上部隊の攻撃要領等について、落ちついた調子で整然と戒厳命令を口達した。命令の下達を終った石原莞爾は側にいた小藤大佐と満井中佐を顧みて、「奉勅命令は下ったのですぞ。御覧の通り部隊の集結は終り攻撃準備は完了した。飛行機も戦車も重砲も参加します。 降参すればよし、しからざれば殲滅する旨をはっきりとお伝え下さい。大事な軍使の役目です。さあ行って下さい」。と語ったのです。

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