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2024年06月03日09:54

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石と対人関係

私達は、人間でありながらその本性を他人に見せないように「衣」を羽織り生きている。

子どもは親が喜んでくれることを全力でする。良い行いも悪い行いも本性丸出し。親はそれを見守りながら、自立できるよう「衣」を着せ、成長を助け、どんな苦労も子どもの幸せな笑顔ですべてを帳消しとする。

家族の枠から一歩でると「衣」を維持することが必要だ。たまに剥がれ、他人様に不快感を与えたり、自らが傷つく場合もある。また、剥がれ見える物の中身に、類似性を発見し安堵する事もある。初めて見る物でもいやでなければ、それは好みとなる場合もある。

不快感を「石」に例えよう。

対人関係で、相手の腑に落ちない行動言動を体感しながら、「まあいいか」とやり過ごす。それを、100gの石に例える。やり過ごす毎に、背負う石が増える。何か重いぞ?と感じる頃に、一緒に背負って欲しいとお相手に願っても、お相手も同様石を背負っているので、相手の分を持てる余裕がない。石の重さは、不安となり、いつしか不満となり、怒りに変わっていく。

あなたは、先月どのくらいの石を背負ったことになりますか?それを1年、10年、一生と換算すると、人1人に対しどのくらいの石を背負うことになりますか?

人生を登山に例えると、無駄な石は背負って登るべきではない。登山からくる疲労に加え、石の重みに耐えなければならない。他人の石を背負うには、強固な意志と肉体がないと景色を楽しむ余裕も持ち得ない。始めは良いが、頂上までとなると工夫が必要だ、もしくは、石を手放さない限り耐えられないだろう。

今ここで助けて欲しいのに、助けてくれない、助けられない。なんたる落胆。そんな人とは一緒に登りたくはないし、助けられない自分に苦悩し続ける登山も悲惨でしかない。

石のおもりを消す魔法がある「お互い様」だ。この思いがあると石はたまらない。ただ、お相手がこの魔法を知らないと、その人に対する石は再度たまり始める。

無敵の魔法は「親の愛情」かもしれない。これで許容限度が無限に広がるからだ。受けた物を与える。シンプルだ。がしかし、日常生活ではなかなか発動しない。家族の枠内でしか発動しないようになっているからかもしれない。

「衣」には、「石」を入れるポケットがある。大きさ、素材で容量もかわる。破れを修繕する人もいれば、破れをよしとする人もいる。着せてもらった「衣」は「石」と表裏一体なのだろうか?

とりとめのない抽象的文章にもかかわらず、読んで頂きありがとうございます。

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