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2023年11月20日05:02

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日清戦争の始まり

19世紀終わりごろ、朝鮮の人々は、重い税金や日本人が米を買いしめたことによる米の値上がりなどで苦しい生活をしていました。1894年に西洋のキリスト教に反対する東学という宗教の信者たちが、農民を中心に立ち上がり、政治改革や日本や欧米などの外国人を国から追い出すために反乱をおこしました(甲午農民戦争)。

朝鮮政府は反乱を鎮めるために清に助けをもとめると、日本も清との天津条約に基づき軍隊を朝鮮におくりました。反乱が鎮められた後、日本は朝鮮の政治に口を出すようになり、朝鮮を勢力範囲だと考えていた清と対立が深まりました。

そして、1894年7月、豊島沖で日本と清の軍隊が衝突したことがきっかけで日清戦争がはじまりました。欧米式の武器や軍隊をもつ日本は戦争を有利にすすめ、大国である清をやぶり、1895年4月に日本と清とは下関条約をむすび、戦争はおわりました。

日清戦争の勝利によって日本が遼東半島を手に入れると、満州(中国東北部)をおさえて日本の大陸進出を防ごうとするロシアは、ドイツ、フランスをさそって遼東半島を清に返すように強くもとめてきました (三国干渉)。

三国に対抗する力のなかった日本は、遼東半島を清にかえしました。その後、ロシアは遼東半島の旅順と大連を清から借りうけて支配をしました(租借といいます)。こうした三国干渉でのロシアの動きに対し、日本国民の不満はとても高まりました。

一方、清から独立をした朝鮮は、国名を大韓帝国(韓国)とあらためました。そして、清の力が弱くなったことを知った欧米列強の国々は、きそって清に進出しました。遼東半島を勢力下においたロシアをはじめ、ドイツ、フランス、イギリスも、清から領土をかりうけ支配を強めました。

日本国内では、列強と対等の立場をまもるために、工業化や軍備の拡張がすすめられました。清から得た賠償金も、これらの事業につかわれました。日清戦争後には生糸や綿糸が輸出されるようになり、日露戦争後には世界最大の生糸輸出国になりました。

遅れて発達した重工業では、日清戦争でえた賠償金をもとにつくられた官営八幡製鉄(福岡県北九州市)が1901年に操業を開始して鉄鋼の生産が始まりました。良質の石炭は軍艦島(端島)から運搬されました。世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」の構成資産のひとつですが、世界遺産的な価値は島の礎を上陸して見ることができました。

石原莞爾平和思想研究会 (ishiwara-kanji.com)

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