「8月が来るたびに」という児童文学があって、
小学校の図書館で見つけて、何度も借りて読んだ。
アマゾンで調べたら復刊されていたので買った。
主人公はきぬえという女の子。
長崎の爆心地近くで被爆するが、入ってた長持ちごと爆風で飛ばされて生き残る。
被爆時5歳だったきぬえは、物語の冒頭では20歳。
首のケロイドを何度も手術した跡を帽子で隠すのがくせになっている。
この日は原爆が落とされた日、平和公園で式典がある。
きぬえは「白いベールをかぶった被爆死者の列」を見る。
倒れた家の下敷きになって火災で焼け死んだ母も、
黒い雨を浴びて原爆症になって死んでいった兄も、
近所の人も友達も、たくさんの人間の列が平和公園に向かって進んでいく。
きぬえはその列を追いかけて走って平和公園に向かう。
そこで物語は終わる。
小学生のとき、このラストがどうしても理解できなかった。
きぬえは自分が見ているものが幻覚だとは思っていない。
老人もこどももいる行進なのにとても早くて、
自分は走っても追いつかず、見失いそうになるのも不自然と思わない。
途中で出会った知り合いのおばさんに
「早く早く、平和公園に行かなくちゃ」と声をかけて走り続ける。
ずっとあとになって、井伏鱒二の「黒い雨」の映画化したものを見た。
主演の田中好子は「黒い雨」を浴びている。
原爆症の症状は特にないのだが、
「黒い雨を浴びたこと」を理由で縁談をいくつも断られる。
最後のほうでやっと結婚相手が決まるのだが、その直後に
「池で大きな鯉が何匹も何度も跳ねる」幻覚を見て、倒れる。
原爆で被爆した人間がかかる病気を総称して「原爆症」と言う。
おそらく終戦直後で詳しい検査ができず、
何の病気かはっきり診断できない場合が多かったからできた名前と思う。
今は、国の補助を受けるために「原爆症に含まれる疾患」定義があるが、
その中には「精神疾患」は入っていない。
認知症と脳血管疾患は入ってるが、幻覚を見るような病気じゃないしね。
でも、このふたつの作品の描写を見ると
被爆した人たちが幻覚を見てしまうことは、あったんだろうと思う。
細胞の遺伝子まで変えてしまう放射線を浴びれば、
カラダだけでなくココロが壊れてしまうこともあるのではないかと思う。
ココロが壊れたのをはっきりと診断したり治療したりするのは、今でも難しい。
当時ならなおさらだ。
被爆者がある日突然そこにないものを見たと言えば、
周囲は、そういうものとして受け止めていたのだろうと思う。
映画「8月のラプソディ」では、被爆者であるおばあちゃんが
夏の嵐の夜に稲光がしたとたん「ピカじゃ!」と叫ぶ。
「はようシーツかぶれ、白い服を着てて助かったもんはようけおる!」と言いながら
寝ている孫たちに必死でシーツをかぶせようとする。
最後のシーンで、暴風雨の中を爆心地に向かって歩いていくおばあちゃんの姿は
何度見ても泣ける。
後ろから息子や娘や孫たちが叫びながら追いかけてくるのに気づかず、
風でおちょこになった傘をかかげて行進するバックに、
児童合唱団が歌う「野ばら」が流れる。
原子爆弾をちゃんと落とされ、きちんと被爆した国は
世界で日本しかない。
アメリカはその後詳しい調査を行い、被爆者の検査も行ったが
(若い女性が裸にされて検査された屈辱を、今は老女になった女性が語っていた)
原爆が投下された当日とその後数日は、被爆した人間だけが見た地獄だ。
人間がどう壊されるのか、いつまで壊され続けるのか、子孫への影響はどうか、
全部詳しく知っている人間は、まだいない。
核兵器は世界の平和を守るためには必要だという意見がある。
否定はしないが、もし使用したときどうなるか、
どんな研究者も全部の予想はつかないだろう。
東日本大震災の津波と同じで、
「全く予想もつかなかった地獄」が出現することだけは間違いない。
実際に自分たちの国でその経験をしてしまった日本は、
自分たちが知っている地獄のことだけでも、もっと世界に知らせるべきではないのか?
最初に「8月が来るたびに」を読んだ小学生のときは、そんなことは思わなかった。
本に書いてあるわずかなことの悲惨さだけで、何度も泣いた。
きぬえの兄が原爆症になって入院したとき、
短い日記をノートにつけていた。
病棟のどこかですすり泣きが聞こえると「誰かのとけいがとまったらしい」と書く。
ノートの最後にあった言葉は「きぬえのとけい、とまるな、とまるな」。
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