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2023年05月13日04:30

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紫式部の子孫は?:高階為章

高階 為章(たかしな の ためあき)は、平安時代後期の貴族で、備中守・高階為家の長男です。
蔵人所雑色を経て、承暦3年(1079年)六位蔵人兼右近衛将監に補せられました。承暦5年(1081年)巡爵により従五位下・越後守に叙任され、のち、左兵衛佐を経て、応徳3年(1086年)白河天皇が堀河天皇に譲位して院政を開始すると、為章は院近臣として院の身近に仕える一方で、但馬守を兼ね、寛治2年(1088年)正五位下次いで従四位下、寛治3年(1089年)従四位上、寛治4年(1090年)正四位下と白河院政期初頭に急速に昇進を果たしました。
為章は院の寵臣として因幡守・藤原隆時と並び称され、二条万里小路の為章の邸宅には、しばしば白河院の御幸が行われました。特に、寛治7年(1093年)春日神人を暴行したとして興福寺衆徒から訴えられ、父の為家が近江守を解かれて土佐国に配流となった際、為章は長男であったために縁坐となるべき所、白河院の特別な恩寵によってこれを逃れ、四男の阿波守・為遠のみが官職を停められたことから、人々から専主の非常の断として驚嘆を受けたといいます。
嘉保2年(1095年)木工頭を兼ねましたが、寛治6年(1093年)加賀守、嘉保3年(1096年)丹波守と引き続き受領を務め、丹波守在職中には、東寺領大山庄を寛徳年間(1044年-1046年)以後の新立荘園として収公するなど、任国の荘園に対し圧迫の姿勢で臨みました。
父に先立って、康和5年(1103年)12月20日に卒去。享年45。最終官位は正四位下行木工頭兼丹波守でした。

紫式部の子孫で、その経歴が確認できるのは彼までの様です。

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https://ameblo.jp/stephen19690326/entry-12799765294.html
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