先日の日記「菖蒲の証明」に書いたように、旧中川と堀切菖蒲園を歩いて来ました。
スタート地点は京成の高砂駅。
京成の複々線の東端となる駅で、更に東は京成本線と金町線、北総線に加えて高砂検車区への線路が入り乱れています。
そしてこの高砂駅は地平路線の為(但し金町線ホームを除く)、隣接の踏切が開かずの踏切となっており、立体交差化する要望が多く出ています。
しかし前述の高砂検車区が近い事からかなりの困難で、そのままの状態が続いていたのですが、近くの公団団地の場所が空く為、そこに検車区を移転させる事で立体化の構想が進みつつあるよう。
とは言え、大変な工事であるのは確かで、事業化が決まっても、完成までには長い年月が必要でしょう。
そしてこの高砂駅、大正時代に開業した際は曲金(まがりがね)駅という名称でした。
金が曲がるのは不吉だという声が多く、高砂駅に改名した…という話はあちこちで見かけます。
大坂が大阪に変わったように、そうした理由で改名は良いのですが、「不吉だから改名」まではともかく、何故高砂?という疑問には全く答えていません。
駅を1025くらいに出て、西へ向かうと間も無く高砂橋の斜張橋構造物が見えてきます。
昨年11月はこの高砂橋を左岸から右岸へ、つまり西へ渡りましたが、今回は後の行程を考えて高砂橋は渡らず、手前を下流へ向かいました。
こちらは新金貨物線。
非電化単線で常磐線と総武線を結んでいます。
現在、葛飾区などを中心にLRT化の構想がホットに語られています。
すぐに旧中川と新中川に分岐、うち新中川最初の橋となる高砂諏訪橋を渡りました。
クルマ用と人&自転車用に完全に分離されており、昨年11月にも歩いておりました。
いつも総武線に乗っている身としては、江戸川、荒川(放水路)、隅田川と続く大きな河川に目が行き、名称の平凡さも手伝ってか、中川の印象は薄いのが本音です。
総武線は新中川、中川放水路、旧中川それぞれを橋で渡っていますが、どれもそれほどの幅は感じません。
しかし、意外に旧中川大きい(@ ̄□ ̄@;)!!
それまでのイメージとのギャップを感じなくも無い・・・
少し歩くと、先ほど高砂橋からよく見えた環七通りの青砥橋が見えて来ます。
回り込むように歩道へ。
扁額の背後には、高砂駅の西隣青砥駅が見えました。
上が下り複線、下が上り複線の二段式複々線となっています。
それにしても、地図で見るとおり、旧中川の蛇行振りが一目瞭然。
右岸へ渡り、堤防沿いの道を進みます。
家々の隙間から青砥駅がチラリ。
前述のとおり、上り下りを上下に分けた所謂要塞駅ですが、住宅密集地なだけあって、高砂駅同様、周囲も駅前も狭狭です。
そんな事を考えながら歩いていると、堤防内側への通路が有りました。
早速、堤防を越えて内側を歩きます。
うん?
これは何だろう?
下に椅子が有るのですから、雨避けか日除けなら分かるのですが、木製の棧が有るのみで、これでは雨も日差しも棧の幅しか遮れません。
無いよりはマシという事でしょうか。
この辺りにはあちこちに有りました。
奥戸橋でまた左岸へ。
この辺り、運動公園になっているよう。
そして本奥戸橋。
上を走るのは奥戸街道で、ロードバイクでも何度か走りました。
首都高中央環状線のかつしかハープ橋を背景に、平和橋が見えてきました。
ここからだと同一平面上のようにも見えるので、首都高を走るクルマより手前の一般道を走るクルマの方が速く見えるぞ・・・なんて、感心しながら見ておりました。
平和橋。
その名のとおり、平和橋通りです。
モンチッチ公園。
以前、新小岩発で新中川を歩いた際、このような表示を見ており、
ムーミンやジブリのようなモンチッチのテーマパークかと思っていたら、モンチッチ関連のモノが少し有る普通の公園でした。
それもその筈、「西新小岩五丁目公園」という本名が有るのだそう。
そして上平井橋。
旧中川は高砂橋近くで新中川と分かれ、蛇行を繰り返した先で、最終的に荒川放水路に流れていますが、その前に荒川放水路と交差しています。
交差と言っても、道路の交差点のように双方がそれぞれ直進する訳ではなく、荒川放水路の対岸からまた旧中川が始まる為、下流側の旧中川は、実質荒川放水路の支流というところでしょうか。
荒川放水路は、明治末期の大水害をきっかけに構想され、大正ほぼ全期を費やして一応完成した人工河川です。
最終的に全てが終わったのは昭和になってからでした。
それまでは荒川放水路などは無く、隅田川が荒川の本流でした。
その頃は、この旧中川も高砂橋辺りから下流まで、そのまま繋がっていたという事でしょう。
地図を見ると、上平井橋からすぐ下流にも橋が有るっぽいですが、これは水門。
ここを渡る事は出来ません。
といったところで、この日の旧中川歩きは終了。
後半に続きます。
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