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2023年01月27日13:17

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最近、思ったこと。part0352-2

{記事が長すぎて10000字以内に収まらなかったので分割、そして続き}

(048) 同 年 悲しいかな「共和政の理念」などもはや誰も「信じ」ていない「時代」に入っていたため想像を絶する「大混乱」が起きる(ToT)。とりあえず東方担当副帝(カエサル)ガイウス・ウァレリウス・マクシミアヌス・ガレリウスが第44代ローマ皇帝に就位、甥ガイウス・ウァレリウス・ガレリウス・マクシミヌスを自らの副帝(カエサル)に就け、西方副帝に自らの忠実な家来フラウィウス・ウァレリウス・セウェルスを送り込む。

(049)306年 さっそく西正帝フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティウスが遠征先のブリタニア島で急死。息子のガイウス・フラウィウス・ウァレリウス・コンスタンティヌスが正帝を名乗って「叛乱」するも、ガレリウス帝の説得で西方副帝に就位する。

(050) 同 年 「副帝の息子が昇格したのに正帝の息子の俺は何故に無位無官なんだ(怒)?」とマクシミアヌス帝の息子マクセンティウスが怒り出しローマ駐留軍を掌握してイタリア本土を制圧する。

(051)307年 西正帝セウェルス帝がマクセンティウス討伐の為南下するもなんとマクシミアヌス帝が「復位」を宣言、セウェルス軍は空中分解してマクセンティウス軍に降伏する。

(052)308年 セウェルス帝はマクセンティウス軍に処刑され、西方統治に失敗したガレリウス帝が嫌気がさしたのか形だけディオクレティアヌスを真似てフラウィウス・ガレリウス・ウァレリウス・リキニアヌス・リキニウス将軍に副帝飛ばして東方正帝を譲位し引退する。リキニウス将軍第45代ローマ皇帝に就位。ガレリウス帝でさえ分割統治「継承法」無視し、西方正帝は「空位」となり、ディオクレティアヌス式「テトラルキア(分割統治制)」は崩壊。「両帝退位」からここまでわずか3年(ToT)。ちなみに直後に親子で内ゲバ、マクシミアヌス「帝」は副帝コンスタンティヌスの元に逃亡。

(053)310年 副帝コンスタンティヌスの元に逃亡していた、マクシミアヌス「帝」は西方正帝として再び即位を宣言するも副帝コンスタンティヌスによって生け捕りにされ処刑される。引退したガレリウス帝の主催した会議で「副帝」が廃止され、コンスタンティヌス・リキニウス・マクシミヌスの3人の正帝と僭称者マクセンティウスの4人が並立する。

(054)311年 ガレリウス先帝・ディオクレティアヌス先々帝が相次いで死去、「最初の4人」が消えてディオクレティアヌス式「テトラルキア(分割統治制)」運用法を「裁定」できる人材が枯渇する。当然「全ては力ずく」という事になる(-_-#)。

(055)312年 西方正帝コンスタンティヌスがイタリアへ侵攻、マクセンティウス軍を撃破し、本人を戦死させる。

(056)313年 東方正帝リキニウスが西方正帝コンスタンティヌスとミラノで会談、キリスト教公認の「ミラノ勅令」を共同で出し、同盟する。直後、小アジアへ侵攻、マクシミヌス軍を撃破し、本人を戦死させる。

(057)314年 西方正帝コンスタンティヌスがバルカン半島へ侵攻、東方正帝リキニウスとの「全面戦争」に突入する。

(058)324年 両者縁組による和平を含めた複雑で大規模な戦争の末、ビザンティオンにてリキニウスを降伏させた上、約束破って討伐隊を送り処刑する。コンスタンティヌス第46代ローマ皇帝に就位。3男コンスタンティウス2世を副帝に任命し、戦勝の地ビザンティオンをコンスタンティノープル(コンスタンティノポリス、コンスタンティヌスの町)と改称させ「首都」として整備する。

(059)337年 コンスタンティヌス帝がキリスト教の洗礼を受けた上で死去。コンスタンティウス2世が第47代ローマ皇帝に就位、兄コンスタンティヌス2世にガリア、ブリタンニア、ヒスパニアを弟コンスタンスにはイタリアとアフリカを分与する。

(060)340年 コンスタンティヌス2世が「長兄(実は次男)なのに俺の領地が狭い!」と怒り出してイタリアへ攻め込み、弟コンスタンスに返り討ちに在ってぶっ殺される。コンスタンス1世が統一西方正帝の地位に就く。

(061)350年 フラウィウス・マグヌス・マグネンティウス将軍がケルト系将校におされ叛乱、コンスタンス1世を逮捕・処刑しローマ皇位を僭称する。

(062)351年 コンスタンティウス2世はマグネンティウスがネポティアヌスやウェトラニオに対抗している間に幽閉していた従弟フラウィウス・クラウディウス・コンスタンティウス・ガッルスを東方副帝に任じて体制を整え、ウェトラニオを降伏させ、ネポティアヌスを撃破直後にマグネンティウスを襲撃し主兵力を撃滅する(ムルサで戦い)。

(063)353年 コンスタンティウス2世は得意の外交交渉でマグネンティウスからアフリカ・ヒスパニアを離反させた上でイタリアへ侵攻、マグネンティウス軍を解体、マグネンティウスは自決する。

(064)354年 猜疑心の塊コンスタンティウス2世は対抗者として疑い東方副帝ガッルス将軍をメディオラヌム(ミラノ)に呼びつけ粛清(処刑)する。

(065)355年 マグネンティウス叛乱とその鎮圧作戦で弱体化した西部戦線(ライン軍団)・北部戦線(ドナウ軍団)の補強策をのため、妹婿に迎えた従弟フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス(東方副帝ガッルス将軍の弟)を西方副帝に任じて西部戦線(ライン軍団)を任せる。

(066)357年 西部戦線(ライン軍団)・北部戦線(ドナウ軍団)の補強策は完了したが、自分で粛清した東方副帝ガッルス将軍の穴を自分で塞がねばならず、東部戦線(シリア軍団)再建の為東へ向かう。

(067) 同 年 西方副帝ユリアヌス将軍が3倍のアレマンノ族軍を全滅させ西部戦線の「英雄」となる(アルゲントラトゥム(ストラスブール)の戦い)。

(068)360年 西方副帝ユリアヌス将軍がコンスタンティウス2世の救援命令を拒否し、西方正帝を宣言する。

(069)361年 コンスタンティウス2世がペルシアと講和してユリアヌス将軍と雌雄を決すべく西に向かうが、途上病に倒れ今や唯一の肉親となったユリアヌス将軍を後継者と認め死去する。フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス第48代ローマ皇帝に就位する。

(070)363年 ユリアヌス帝がペルシア遠征に出陣、敵首都クテシフォン近郊まで攻め込むが軍同士の連携に失敗、撤退戦中に戦死する。遠征軍を掌握したフラウィウス・ヨウィアヌス将軍が在り得ない様な大幅な譲歩をした講和条約をペルシアと結び撤退、第49代ローマ皇帝に就位する。

(071)364年 コンスタンティノープルへの帰還途上でヨウィアヌス帝が暗殺される。コンスタンティノープル途上の遠征軍はニコメディア(ニカイア)でユリアヌス帝の姪の婿ウァレンティニアヌス将軍を推戴、ウァレンティニアヌス将軍が第50代ローマ皇帝に就位、弟ウァレンスに帝国東方を分与し自らはメディオラヌムで西方統治を宣言する。

(072)375年 フン族のウクライナ草原侵攻の影響で激化したゲルマン人の侵攻を10年間東奔西走して迎撃し続けるもパンノニアの司令部で脳溢血を起こして死去。東方正帝ウァレンス帝第51代ローマ皇帝に就位、西方ではすでに父に西方共同正帝に任じられていた息子のグラティアヌスが西方正帝につき、弟のウァレンティニアヌス2世をバルカン半島東部担当共同統治皇帝に任命する。

(073)378年 アホなウァレンス帝がフン族に撃破された西ゴート族を難民として受け入れるが、たちまち西ゴート族は本性表して周辺地域を劫略する。怒ったウァレンス帝が正規軍を率いて親征するも撃滅され、本人も戦死する(ハドリアノポリスの戦)。対ゲルマン二人目の皇帝戦死者・・・、ローマ世界の終焉「ゲルマン民族の大移動」開幕(ToT)。

(074) 同 年 西方正帝グラティアヌス帝第52代ローマ皇帝に就位し、テオドシウス1世を東方正帝に任命しコンスタンティノープルに送り込む。

(075)379年 テオドシウス1世、西ゴート族にトラキア北部を割譲し、「同盟部族」に任命する(-_-#)。

(076)383年 西方正帝の一人グラティアヌスがブリタンニア軍司令官マグヌス・マクシムスによる反乱で殺され、東方正帝テオドシウス1世が第53代ローマ皇帝に就位し、そのままマグヌス・マクシムスを西方正帝に任命する。

(077)387年 西方正帝の一人マグヌス・マクシムスが領土拡大の為にウァレンティニアヌス2世領のイタリアへ侵攻、ウァレンティニアヌス2世は撃破されテオドシウス1世に妹を差し出して救援を請う。

(078)388年 テオドシウス1世が西方へ出陣、マグヌス・マクシムスを連破し逮捕処刑、ウァレンティニアヌス2世を西方正帝として復位させる。

(079)392年 ウァレンティニアヌス2世が部下の統制を気に病んで突発的に自殺する。テオドシウス1世が西方宰相フラウィウス・アルボガスト将軍の進言に従い元老院議員フラウィウス・エウゲニウスを西方正帝に任じる。

(080) 同 年 テオドシウス1世がキリスト教を国教と定める。古代オリンピックを廃止、ちなみにこの10年前にグラティアヌス帝により勝利の女神ウィクトリアに捧げられた「勝利の祭壇」も元老院から撤去されてます、そりゃ、ゲルマン人に勝てなくなるわけだよ(-_-#)。

(081)394年 ミラノ司教・暗部露死薄が信仰の自由を掲げるエウゲニウス帝を讒言し、真に受けたテオドシウス1世がエウゲニウス帝を解任、9歳の"超"馬鹿息子フラウィウス・アウグストゥス・ホノリウスを西方共同統治正帝に、11歳の同じく"超"馬鹿息子アルカディウスを東方共同統治正帝に任命し、西部に侵攻、エウゲニウス軍を撃滅してエウゲニウス帝を自決に追い込みアルボガスト将軍を処刑する(フリギドゥスの戦い)。この間、ドンドン、ゲルマン人が帝国領内に違法移住し、挙句西方統治はヴァンダル族出身のスティリコ将軍に委任される。

(082)395年 テオドシウス1世が死去、"超"馬鹿息子アルカディウスが第54代ローマ皇帝に就位する。時に齢12歳、東西とも幼帝が在位し、「帝国防衛者」としてのローマ帝位が完全・完璧に「空洞化」する(-_-#)。テオドシウス1世は無責任な大馬鹿野郎だ(怒)。

(083) 同 年 東西とも幼帝なんだからそりゃ「蛮族」暴れ出すわ(-_-;)、アウレリアヌス帝やディオクレティアヌス帝時代でも常時侵攻してきた、ただその時分には「帝国防衛者」ローマ皇帝に迎撃され「皆殺し」&「奴隷化」されていただけ。先鋒は既に帝国領内に拠点を持っていた西ゴート族で直前に王(リックス)に選挙されたアラリック1世の指揮のもと「同盟部族」の条約何のそのとバルカン半島に侵攻してヒャッハー(劫略)しまくった(-_-#)。その「対策」が凄い(黒笑)、アルカディウス帝「政府」はアラリック1世に大金を掴ませた上、西ローマ領イリュリクムの軍総司令官に任命した(-_-#)。

(084)401年 イリュリクムを含むバルカン半島西部を制圧したアラリック1世はアルカディウス帝「政府」の企図通り、ホノリウス帝領の根拠地イタリアへの侵攻を開始する。

(085)402年 17歳になっていたホノリウス帝は泥沢地と湿地に囲まれ縦横に走る運河が防衛線を構築する要害の地ラヴェンナへ逃げ込み、スティリコ将軍に全部押し付けて知らん振りする(-_-#)。

(086) 同 年 スティリコ将軍はアラリック1世を連破し、イリュリクムへ撤退させる。

(087)406年 スティリコ将軍がイタリア防衛の為に兵力抜いて弱体化したドナウ戦線をラダガイスス率いる東ゴート族主体の民族移動式蛮族軍が突破、イタリアへ侵攻する。慌てたスティリコはガリアから兵を呼び中部イタリア・フィレンツェ包囲中の蛮族軍を撃破するも、あちらを立てればこちらが立たず、イタリア防衛の為に兵力抜いて弱体化したライン戦線を突破しヴァンダル族・アラン族・スエビ族がガリアへなだれ込む。

(088)408年 アルカディウス帝死去、23歳になっていたホノリウス帝が第55代ローマ皇帝に就位する。ホノリウス帝は東西ローマ統一を望むも既に完全に「政府」が別々に編成されており、内戦を恐れたスティリコ主導で当時東方副帝だったテオドシウス2世が東方正帝に順当に昇格する。

(089) 同 年 不可能な統一皇帝になれず不満を持ったホノリウス帝が自分はなーーんもせん癖にこれまでの不手際をせめて義父でもあったスティリコ将軍を逮捕処刑する。挙句に動揺した同盟部族が差し出した人質を「脅し」の為に次々と処刑Σ(OoO)、怒った諸族がアラリック1世のもとに集結しイタリア侵攻を開始する。西ゴート軍はアッサリとローマ市へ侵攻し包囲、5千ポンドの黄金と3万ポンドの銀、4千枚の絹の外套、3千枚の染物、3千ポンドの紙と解放された4万人のゴート人奴隷を差し出され、イリュリクムに凱旋する。

(090)409年 軍資金と兵力たんまりとせしめたアラリック1世はホノリウス帝にイリュリクムの正式割譲を要求、ホノリウス帝はホイホイ同意した上、アッサリ約束反故にして、アラリック1世のイタリア再侵攻を招いた挙句、ローマが再包囲されても何の対策も取らず知らん振りする(-_-#)。アラリック1世はローマ元老院を脅して対立皇帝プリスカス・アッタルスを擁立しホノリウス帝を交渉の場に引き出すも、ホノリウス帝はこれを約束した上にサボり、騙し討ちしかけた挙句アラリック1世逃げられる。

(091)410年 アラリック1世はローマ市へ進撃、これを攻略し「劫略」する。西ゴート軍はついで南イタリアへ侵攻。罰が当たったのかそこでアラリック1世は急死するも、義弟アタウルフが軍権を引き継ぎ西ゴート軍は存続する。ちなみにこの年、ブリテン島からローマ軍団が撤退、それに反発したコンスタンティヌス将軍が皇帝を宣言、ガリアへ攻め込み、英国でヒャッハー時代始まります(-_-#)。


(092)411年 貧すれば鈍す、これはヤバいとガリアで元老院議員ヨウィヌスがヒスパニアでマクシムス将軍が、ガリア・ヒスパニア軍を独立させる。味方がバラバラになったコンスタンティヌス将軍はホノリウス側の将軍コンスタンティウス3世に撃破され、そしたら何を考えたのかホノリウスがアタウルフにヨウィヌス討伐を要請Σ(OoO)。西ゴート軍はイタリア半島を劫略しつつ縦断北上しガリアへ向かう。

(093)413年 アタウルフはアッサリとヨウィヌスを生け捕りにしてホノリウスに差し出す。

(094)415年 アタウルフはシゲリック酋長に暗殺され、シゲリック酋長はワリア王に処刑される。ワリア王はローマの将軍コンスタンティウス3世に他の部族と共にマクシムス将軍討伐の為にヒスパニアに半強制的に送り出される。この功績?でコンスタンティウス3世はアタウルフお手付きの皇妹ガッラ・プラキディアを与えられホノリウス帝の義弟として皇族に連なる・・・つーか、この人「蛮族」をドンドン引き込んでない?

(095)418年 当たり前だがヒスパニアはヒャッハー天国となりマクシムス将軍も戦死、西ゴート族・ヴァンダル族・アラン族・スエビ族が各地を猛烈に劫略しながら壮絶な内ゲバして西ゴート族優勢となるとな・なんとホノリウス帝は南ガリアを割譲して西ゴート王国を建国させ同盟を結ぶ。だーかーらー「それ」遣ったから今こうなってんだろうが(-_-#)。

(096)423年 よーーやく「地獄王」ホノリウス帝が死去、東方正帝「カリグラフォス(能書家)皇帝」テオドシウス2世が第56代ローマ皇帝に就位。西方「政府」は西方正帝にヨハンネス将軍を推すが、テオドシウス2世は6歳の甥フラウィウス・プラキディウス・ウァレンティニアヌス(ウァレンティニアヌス3世)を翌年西方副帝に任じてゲルマン人・アスパル将軍に兵を授けてイタリアへ攻め込ませる。12歳・10歳ときてついに園児皇帝かよ(-_-;)。

(097)425年 アスパル将軍が西ゴート王国建国で「飛び地」になってしまったガリアのアエティウス将軍を買収して西方「政府」を鎮圧、ウァレンティニアヌス3世を西方正帝に就位させる。

(098)427年 ボニファティウス将軍がアフリカで叛乱、なんとイベリアのヴァンダル族を味方としてアフリカに引き込む(-_-#)。ヴァンダル族は北アフリカに拠点を設けカルタゴ侵攻を企図する。

(099)430年 自分で呼んどいてヴァンダル族に脅威を感じたボニファティウス将軍がなんとお手付き皇太后ガッラ・プラキディアのご機嫌取って宮廷に呼び戻され何の処罰もされずパトリキに昇進する。はいっ?ついでに20年前にパンノニア(ハンガリー)に到達したフン族にテオドシウス2世が年貢金を支払う条約を結ぶ。は、はいっ?

(100)435年 ウァレンティニアヌス3世がヴァンダル族に占領地を正式割譲。ついでにフン族にパンノニア(ハンガリー)を割譲する。

(101)439年 ヴァンダル族の大酋長ガイセリックがカルタゴを制圧、ヴァンダル王国を建国し王となる。この辺が教科書なんかでよく見る「民族移動図」だな(-_-;)。

(102)440年 19年前に続きテオドシウス2世がササン朝ペルシアの侵攻を迎撃、翌年年貢金付きとはいえ和平条約を結ぶ。この時期、東方は「西方」と大違いで基本国土防衛・治安維持に「成功」している。なんで?「簡単な年表」なんで細かくは書かないが、この時期、西方は「ヒャッハー(劫略)」されまくり(-_-#)、皇帝・将軍が「蛮族」引き込みまくり、アホかよ。

(103)445年 ついにフン族がアッティラを王に頂く。

(104)447年 アッティラ王が小手調べに東方に侵攻しローマ軍を撃破し各地でヒャッハー(劫略)する。

(105)450年 テオドシウス2世が死去、ウァレンティニアヌス3世第57代ローマ皇帝に就位。アスパル将軍主導でテオドシウス2世の姉婿マルキアヌスが東方正帝に擁立されるもウァレンティニアヌス3世は2年間承認しなかった。

(106)451年 アッティラ王がガリアへヒャッハー(劫略)目的で侵攻するもローマ・蛮族連合軍にカタラウヌムの戦いで一敗ちまみえライン以東に撤退する。つーか、これ蛮族同士の「内ゲバ」じゃね?

(107)452年 アッティラ王が今度は北イタリアへヒャッハー(劫略)目的で侵攻する。アエティウス将軍は出兵拒否、ウァレンティニアヌス3世はサッサとローマに逃亡(苦笑)、仕方がないのでローマ司教・レオ(カトリック教徒にとっては大教皇・聖レオ1世)が交渉にあたり、兵站が尽きたのでフン軍は劫略した戦利品たんまり抱えてパンノニアに撤退する。レオは名目上では45代だが実質では「初代ローマ教皇」。アッティラ王が矢鱈有名なのはこの会見を称賛したいカトリック教会の「宣伝」によるもの。

(108)453年 アッティラ王が脳溢血でポックリ死んでヒャッハー(劫略)人生を終える。

(109)454年 アッティラ王の後継内戦を契機に従属部族が一斉に離反、ネダオ川の戦いで負けてフン帝国は空中分解する。ついでに出兵拒否を咎めてアエティウス将軍をウァレンティニアヌス3世が直接自分で暗殺する。

(110)455年 アエティウス将軍の部下がウァレンティニアヌス3世を暗殺、東方正帝マルキアヌスが第58代ローマ皇帝に就位する。ウァレンティニアヌス3世暗殺の犯人の一人フラウィウス・ペトロニウス・マクシムスが皇帝を宣言するもマルキアヌス帝は承認を拒否、それをヒャッハー(劫略)のチャンスと見たヴァンダル王ガイセリックがイタリアへ侵攻、ペトロニウス・マクシムスは何の対策も立てずローマから単独で「逃亡」をはかり、途上それに怒った市民に殴り殺される。

(111) 同 年 ヴァンダル王ガイセリックがローマを攻略、しかたなくローマ司教・レオ(カトリック教徒にとっては大教皇・聖レオ1世)が交渉に赴くも交渉失敗、全市劫略され皇族・技術者どころか一般市民も多数拉致されて奴隷化される。

(112) 同 年 西ゴート王テオドリック2世が後ろ盾となってガリア在住の軍人エパルキウス・アウィトゥスがローマ皇帝を宣言するがマルキアヌス帝は承認を拒否、あたりまえだっつうの(-_-#)。

(113)457年 マルキアヌスが死去しアスパル将軍主導でその元部下レオ1世が擁立される、レオ1世第59代ローマ皇帝に就位する。

(114) 同 年 リキメル将軍と組んだ皇宮護衛隊長ユリウス・ウァレリウス・マヨリアヌスが無能すぎるアウィトゥス帝を引きずり下ろし自ら皇帝を宣言、西方正帝に就位する。

(115)461年 マヨリアヌス帝は行政改革を断行し、捻出した税金を軍資金にブルグント族・西ゴート族を撃破するも、計画していたヴァンダル王国遠征がガイセリックの奇襲を受けて頓挫し北アフリカ西部を割譲。この年ローマ帰還途上にクーデターにあいリキメル将軍派の兵士に逮捕・処刑される。

(116) 同 年 リキメル将軍が主導し無名の元老院議員リウィウス・セウェルスが西方正帝に擁立される、レオ1世はリウィウス・セウェルスの承認を拒否。

(117)465年 リウィウス・セウェルス帝が東方正帝からの援助を阻害するとみたリキメル将軍がアッサリとリウィウス・セウェルス帝を病気に見せかけ暗殺。西方帝位を「空位」にする。はぃ?

(118)467年 「空位」に苦り切ったレオ1世が娘婿プロコピオス・アンテミウス将軍を西方送り出す。プロコピオス・アンテミウス西方正帝に就位。

(119)468年 アンテミウス帝が部下のマルケリヌス将軍、レオ1世の義弟バシリスクス将軍、と共にヴァンダル王国へ遠征するも偽計に引っ掛かり大敗する。

(120)470年 ガリア再征服の為出兵するも出足は良かったがブルトン族・西ゴート族に連敗、軍資金を確保するために大規模な「売官」を行う。

(121) 同 年 リキメル将軍・オドアケル将軍・グンドバト将軍が叛乱、皇帝軍と激しい内戦を開始。

(122)471年 レオ1世がゼノン将軍を使い、権臣アスパル将軍を粛正。

(123)472年 反乱軍がローマでアンテミウス帝の軍を撃破、アンテミウス帝を逮捕処刑する。だが、1月後リキメル将軍も急死する。

(124) 同 年 リキメル将軍の要請でウァレンティニアヌス3世の娘婿フラウィウス・アニキウス・オリュブリウスが皇帝を宣言するもストレスのせいか3ヵ月で急死する。

(125)473年 グンドバト将軍がフラウィウス・グリケリウスを西方正帝に擁立する。レオ1世は承認を拒否。義理の甥フラウィウス・ユリウス・ネポス将軍を西方正帝に任じて領地のダマルティアからイタリアへ侵攻させる。

(126)474年 レオ1世が死去、7歳の外孫のレオ2世が東方正帝と第60代ローマ皇帝に就位するもその年の内に急死する。

(127) 同 年 レオ1世の娘婿でレオ2世の父ゼノンが東方正帝と第61代ローマ皇帝に就位する。

(128) 同 年 ネポス将軍がグリケリウス帝軍を制圧しグリケリウス帝を降伏させ追放する。フラウィウス・ユリウス・ネポスが西方正帝に就位する。

(129)475年 ネポス帝の命令でガリアへ向かったフラウィウス・オレステス将軍が叛乱、ラヴェンナに進撃、ネポス帝は本拠ダマルティアへ撤退。

(130) 同 年 フラウィウス・オレステス将軍が息子のロムルス・アウグストゥルスを西方正帝と宣言する。

{論考が長すぎて10000字以内に収まらなかったので分割、最近、思ったこと。part0352-3へ続く。}
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