「家畜のえさにしかならないこまっかいくずジャガイモまでだしてくれた」の章
パルチザン(斥候)
「私はある任務を遂行しました。
そのためもう村に残っているわけにはいかず、パルチザン部隊に入りました。
母は数日後にゲシュタポに連れていかれました。娘の居場所を言えと拷問されました。
二年間とらわれの身でした。
二年間というもの、ファシストは作戦に行く時に他の女の人たちといっしょに
母を前に歩かせました。パルチザンが地雷を仕掛けたかもしれない、と。
必ず地元の住民を前に立てて歩かせたんです。人間の盾です。」
「待ち伏せをしていると向こうから女の人たちがやってきて、
その後ろにドイツ軍がついてくる。
もっと近づくとその中に母がいるのが見えます。
一番怖いのはその時にパルチザンの指揮官が撃てと言うかもしれないこと。
みなその瞬間を恐れていました。みな互いにささやきあっています。
「あ、おふくろだ」「あ、妹だ」自分の子供を見つけた人もいました。」
母はいつも白いスカーフをかぶっていました。背が高くてすぐに母とわかりました。
私が気づかないでも他の人が教えてくれました。「おまえのおかあさんがいる」
「撃てと指令が出れば、撃つんです。おかあさんは無事かしら。
たおれなかったかしら、それしか頭にありません。
二日かそこら、村から連絡係が来て無事よと言ってくれるまで生きた心地がしません。
それがわかればまた次の時まで生きていられます。」
「井戸に放り込まれる子供の叫び声が今でも耳に残っています。
そんな叫び声を聞いたことがありますか?
子供は落ちて行きながら叫び続けて、どこか地中から聞こえてくるようでした。
あの世からの声、子供の声とは思えません。人間の声ではなくなっています。」
「のこぎりでいくつかに切り分けられた若者を見たことがあります。
丸太のように切ってあるのです。パルチザンの仲間でした。
そういうことのあとで任務を遂行しに行くと、心は一つのことしか望んでいません。
やつらを殺し、殺し尽くせ。少しでもたくさん殺せ。もっとも残忍な方法で。」
「1943年の退却の直前にファシストは母を銃殺しました。
母が銃殺されたと知ったとき、じっとしていられませんでした。
どこに母が埋められたか見つけなければ。母たちは銃殺されたあと、
対戦車防衛溝に埋められて完全に地ならしされていて跡形もなくなっていました。
そこにかけつけて地面を掘って、死体を次々とあおむけにしました。
指輪で母とわかりました。見つけるなり大声で泣き叫び、何もわからなくなりました」
「夜な夜な寝ながら考えます。私のせいで母が死んだ、いや、そうじゃないわ。
私がパルチザンにならなかったら、戦いに行かなかったら、今はないのよ、と。
忘れるの、と。母が歩かされていた様子、その方向に撃ったこと、白いネッカチーフ。
こういうことを全部かかえて生きていくのがどんなに辛いかお分かりいただけないわ。」
パルチザン(連絡係
「私たちの部隊にチムキ兄弟がいました。彼らは待ち伏せにあって村の納屋に逃げ込み、
応戦しましたがその納屋に火を放たれました。弾丸が尽きるまで抵抗を続け、
それからやけどした二人は引き出されて荷車で村中引き回されました。
誰の身内か告げ口する人を期待したのです。」
「村中が見ていました。チムキ兄弟の父や母も。誰も何も言わなかった。
母親はどんな思いで悲鳴ひとつあげないで耐えていたことでしょう。
もし泣きだしたら村中が焼かれてしまうことを知っていたのです。
ドイツ兵ひとり殺されると村がひとつ焼き払われる。そのことを知っていました。
この母親の沈黙をたたえるにはどんなに位の高い英雄勲章でも足りません。」
パルチザン(連絡係
「木の狂っている女性に出くわしたことがあります。足が立たず、這っている。
自分はもう死んでいると思い込んで。
私たちが体をゆすると少し意識がはっきりしてきました。
その女の人は5人の子供といっしょに銃殺に連れていかれたことを語ってくれました。
納屋に連れていかれる途中で子供たちは少しずつ殺されたのです。
彼らは銃を発射し、しかも楽しんでいた。最後に乳飲み子の男の子が残って、
ファシストは「空中に放り投げろ、仕留めてやるから」と身振りで促した。
女の人は自分で赤ちゃんを地面になげつけて殺した。
自分の子供を…ファシストが殺す前に。」
パルチザン(人民委員
「村の人たちが助けてくれたの。
人々の協力がなかったらパルチザン活動なんてありえなかった。
民衆は私たちといっしょに戦っていた、とにかく食料をだしてくれた。
「苦しみもわけあうんだよ、一緒に勝利を待つんだから」と
家畜のえさにしかならないこまっかいくず芋をだしてくれる。パンもくれる。
森にもっていくように袋いっぱい。」
「私たちには武器があり、身を護ることができる。でも村人は?
パルチザンにパンを一個あたえただけで銃殺よ。
私が一夜泊めてもらった、そのことを誰かが密告すればその家は全員銃殺。
女の人と小さい子供が3人住んでいた。決して追い返さなかった。
ペチカを焚いてくれて、みんなの洗濯もしてくれた。
とってあったなけなしの食料も全部出してくれる。
春先のじゃがいもはこまっかくてまるで豆粒。
私たちは食べているのに、子供たちはペチカの寝床で泣いている。
その豆粒のようなくず芋が残っていた最後の食料だったの…」
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