享保の改革で幕府を立ち直らせた江戸幕府八代将軍と言えば徳川吉宗です。財政に苦しむ幕府を立て直すために享保の改革を行ないました。質素倹約を命じるとともに、大名に米を納めさせる上米の制や新田開発を行ないました。また、人びとの意見を聞く目安箱を設置しました。
徳川吉宗は、御三家の紀伊藩(紀州藩、今の和歌山県)の藩主、徳川光貞の四男にうまれました。兄たちが次つぎに亡くなったため、藩を継ぐことになりました。七代将軍・徳川家継が八歳で亡くなり、徳川将軍家が途絶えてしまったため、吉宗が将軍家の養子となり、八代将軍につきました。
吉宗は、町奉行の大岡忠相など、有能な人物をさかんに用いました。また、人びとの意見を聞くための目安箱を置いて、よい意見は取り入れたりしました。さらに、江戸の消防制度(町火消)をつくりました。
吉宗が将軍についたころの幕府の財政は大変苦しくなっていました。吉宗は倹約を命じ、自分でも一日二食の質素な食事を守りました。着物は木綿のみとし、大奥の女性五十人をやめさせました。また、大名が参勤交代で江戸にいる期間を半分にする代わりに、石高一万石につき、百石をおさめさせること(上米の制)にしました。
さらに新田開発を行うとともに、毎年決まった率の年貢を納めさせるようにして、幕府の収入を安定させようとしました。また、飢饉に備えて青木昆陽のすすめでサツマイモづくりを命じました。この結果、幕府の財政は立ち直りました。これらの改革を「享保の改革」といいます。
春は花見の季節です。東京なら上野公園や隅田川堤、大阪なら造幣局の通りぬけなど、桜の名所は各地にあります。江戸時代の花見は、はじめは一本の桜でしたが、八代将軍・徳川吉宗は、その慣習をがらりと変えてしまいました。
墨堤とよばれる隅田川の東堤や飛鳥山などに桜を植樹し、庶民が花見を楽しめるようにしたのです。私は地酒が好きです。蕎麦と酒は精通しているということですので長野県の戸隠まで蕎麦打ちなどを体験しながら自分でしめの蕎麦を打ったりしていました。江戸時代は酒と蕎麦・江戸前寿司など好きなものばかりです。(笑)
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