かつていじめられた経験者のワシが通りますよ。
人間同士のトラブル、たとえば相手の言動が気に入らないとか、
そういうのの解決手段として「いじめ」を用いるのは許されない行為だ。
相手に原因がある、というのがいじめた人間の常にいう言い訳だが、
問題の全くない人間、人間関係などあろうはずがない。
仕事場なら仕事に差し支えるいじめはとうぜん解雇案件になる。
(…ただし実際にはいじめたほうはベテランお局有能社員で解雇できなかったり)
学校みたいな「人間の成長過程」にあたる場所なら
人間関係の解決方法を学ぶ意味でも、当事者どうしできちんと話し合いしてほしい。
それを、学校自体が「いじめはない」みたいな態度をとるからややこしくなる。
いじめられたほうが自殺したり、ってこと。
このオヤマダとかいうアーチストがいじめを行ったのはかなり前、
それが記事になったのも1994年。
前のことだから許される、とは言わないよ。
ただその時代って、ワシが教師に言われたとおり
「いじめられたほうにも理由がある」という態度の教育現場でも問題にならなかった。
だからこどもの立場としたら「やっていいんだ」と思ってしまっても仕方ない。
これはその子を囲む環境(学校、教師、親)の問題だ。
しかし、その過去のいじめを
反省なくインタビューに答える、となると話は別だ。
今、自分の子が万が一障碍者で同じことをされたらあんた、怒らないの?
仕方ないってこどもにいうの?ってことになる。
ある程度社会を知ったあとは、過去に対して考えかたが変わって当然だ。
ただし、アーチストってのはたいてい変人で異常人格だよね。
いや訂正、変人で異常人格でも「あの人はアーチストだから」で許されることが多い。
頭にろうそくのせて川を見てたゴッホ、
多種多様の女を同時に愛人にして使い捨てて顧みないピカソ、
他にもいくらも例がある。
そしてもし偉大な芸術家なら、人格とか言動と、作品のすばらしさは関係ない。
このオヤマダがそこまでの一流アーチストかどうかはともかく。
で、次の、もっと大きい問題だけど。
そのインタビュー記事を載せた雑誌の編集の責任はでかいと思われる。
相手が変人のアーチストで変な話を聞きたい、それを載せて雑誌売りたい、
そりゃ編集からはそう思えるだろうけど、
明らかに「いじめられたほうが読んだらどう思うか」の視点がなかった。
今ならあっという間にその雑誌は廃刊、ネット記事削除、
うっかりすると編集長交代しても雑誌社つぶれるところまでいく。
おそらく当時は「売れれば何でもいい」雰囲気だったんだろうけど、
しかもおそらく編集の中に「自分がいじめられた経験者」がいないか、
いても「こういう記事はまずい」と言えない雰囲気だったんだと思うけど
(自分もいじめにあったとかいうと「お前いじめられて当然」と返される時代)
それにしてもまずい。
この記事さえなかったら、オヤマダにけちがつくこともなかったんでしょ?
…聖人君子の過去しかない人間なんてどこにもいないよ。
少し前、アメリカの映画界だったかで、
「LGBTQの役はLGBTQが演じるべきだ」という流れがあって
あっという間に広がった。
視覚障碍者の役は視覚障碍者に、とかね。
そりゃ役柄の割り当てっていう意味では考えてもいいと思うけど、
目が見えない人間のことは目が見えない人間にしかわからない、ってのは
当たり前でね。
「役を演じる」ってのはそれと別な話だよ。なんか変だった。
それと同じく、過去に「汚点」があると大きい仕事をさせてもらえない、とか
日本がなると、すこしいやだな。
過去の汚点ほじくりだし競争みたいになるのはいやだ。
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https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=54&from=diary&id=6597812
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