法医学が好きだった。
相手が死んでいる、ってとこがすごく魅力的だった。
医学はどんなものも苦痛を伴う。相手が生きていれば。
相手が死んでいるなら、利益しか与えないことが可能。
一番悪くても「何もわからない」だが、それでも相手は困らない。
一度死ねば二度と死なないので。
法医学教室は学生ロビーにあって、入り口に「解剖中」と札がかかる。
自分はそれを見るなり必ず入った。
ロッカーで着替えて手袋、帽子、脱臭剤入りの重いマスク、
そしてながーい長いゴム靴をはいて、コンクリートむき出しの解剖場へ。
階段状の見学者用スペースのある解剖場は、
真ん中に解剖台がある、そこに本日の解剖体が乗っている。
交通事故死、自殺、野原に埋まっていたご遺体、水死、白骨、など。
一番おもしろいと思ったのが「白骨遺体」の解剖。
人体解剖図と首っ引きで「これは左の第三肋骨」などと並べていく。
テキトーにやると、同じ場所の骨が2本になる。
教授が言う。「ふたりぶんの骨かもしれない」…なるほどねぇ。
水死体はぶくぶくにふくれて青く藻がつき、内臓が溶けている。
頭蓋骨を開けると水になった脳組織が流れ出る。
カニやしゃこが付着していることもある。
「海で死ぬのはやめたほうがいいな」と思った。
(その何十年後かに、大震災でそういうご遺体がたくさん出ることなど知らない)
キモチワルイと思ったことは一度もなかったが、
ある日、水死体の解剖のあとで、
帰宅後に下着まで水死体のにおいがついていることに気づいた。
ちょうど授業で人体解剖学の実習をやっていたのだが、
家族はきっと「今日はすごく一生懸命頭つっこんで解剖したのか?」とでも思ったかもしれない。
父親に「香水を使え」と言われたのもこのころだ。
いろいろ考えて、法医学に出入りするのはやめた。
すごく好きだったけど、洋服も好きだったので。
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