昨今、ロングウォークを趣味としていますが、古くから有る道や集落の沿道などを歩いている際、頻繁に見かけるのが出羽三山供養塔。
一基だけだったり複数基だったり、或いは十数基並んでいる事も珍しくありません。
これらは所謂修験道、山岳信仰に基づく霊山である月山、羽黒山、湯殿山を参拝した記念に造立したものです。
修験道とは役小角(えんのおづぬ)を開祖とし、山岳信仰と仏教が結び付いたもの…という事ですが、その教義などは分かりません。
山伏とも呼ばれる白装束で杖をついて歩く修験者、「どっこいしょ」の語源とも言われる(真偽不明)「六根清浄(ろっこんしょうじょう)」の声のイメージが有る程度です。
日本の仏教は長らく神仏習合で発展しましたから、修験道も神道の影響が多いよう。
江戸期以降は庶民の間にも広まりました。
さて
その出羽三山供養塔ですが、実は拙宅から徒歩3分くらいの近所にも有ります。
ふと気になって調べてみると、千葉県は全国的にも出羽三山信仰が盛んで、関東&東北の三山供養塔の都道府県別集計で、地元山形県に次ぐ二位だそう。
そして「男は一生に一度は三山に行くもの」と言われているのだとか。
へぇ…
私は言われた事は無いが…
かつて蝦夷地と呼ばれた東北地方は、古代から朝廷軍による侵略が繰り返され、多くの民が源住地である蝦夷から房総の地に移住させられ、逆に房総の民が蝦夷の開拓に送り込まれたよう。
房総に移住させられた俘囚(朝廷に帰属した蝦夷の民)の反乱も有りました。
そのように房総と蝦夷で居住地が入れ替わった人も多かった訳で、そうして房総に来た人の子孫が主に参拝しているのでしょうか?
…という連想をしましたが、当時の朝廷と蝦夷の最前線は現在の福島県から宮城県辺りでしょう。
山形県の出羽三山信仰とは結び付きそうもありません。
次に思い付くのは源頼朝による奥州合戦。
頼朝の配下には千葉氏を始め房総の豪族が少なくありません。
そしてこの地の地頭になったり、千葉氏の一族である相馬氏のように、後に土着した者もおりました。
しかし相馬も福島県。
こちらも関係無さそう。
とすれば、千葉県で出羽三山信仰が盛んだったのは、房総独自の歴史的要因によるものではないのか。
このあたりは大きな謎ですが…
それにしても三山供養塔がこんなに多いとは、ロングウォーク始めるまで気づきませんでした!
そうそう、千葉県に多いと言えば、馬付馬頭観音は千葉県だけが突出して多いそうです。
古墳も貝塚も多いし…
スゴいぞ千葉県♪ヽ(´▽`)/
しかし、例えば安曇野のように石仏で注目される事は無し…安曇野と違って千葉県ではあまり旅情を刺激されないのか。
いやいや、かの石仏を煽っているのは主にツアー会社でしょうから、千葉県では近すぎてツアーとして商売になり難いのでしょう。
たぶん。
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