日光の東照宮に行かれた方も多いかと思います。
「日光を見ずして結構と言うなかれ」とも言われています。
ご承知のように、日光東照宮は徳川家康を祀る神社です。
金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には
「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、
日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。」と
家康が述べたと書かれています。
家康の遺骨は、東照宮の奥社の宝塔の下に収められていると言われていますが、
創建以来見た人はいないので、本当かどうかは分かりません。
2代将軍の秀忠は、実直な人なので、
家康の言う通りに質素な社殿を建設したのかも知れませんが、
3代将軍の家光は、祖父家康を尊敬する気持ちが強く、
寛永の大造営を行い、現在の東照宮の社殿は、ほとんどこの時のものです。
それだけでなく、家光は自分の墓所を東照宮に近接した場所にするよう遺言し、
輪王寺の大猷院に眠っています。
東照宮の建物の中で、一番有名なのが、陽明門です。
1636年(寛永13年)の造替で、
建築形式は三間一戸楼門で、
規模は桁行(間口)が約7m、梁間(奥行)が約4m、棟までの高さが約11mです。
一日中見ていても見飽きないことから「日暮門」とも呼ばれる絢爛豪華な門です。
この陽明門は、2013年〜2017年の間、
「平成の修理」の一環として約12億円の経費を掛けて大規模な修理が行われました。
陽明門の改修が竣工し、一般公開が始まったのは、2017年3月10日でした。
僕は、その年の11月に、燦然と輝く門を見て来ました。
昨日、フライデーデジタルが、
「修理に約12億円!「国宝」日光東照宮・陽明門がボロボロのワケ」との
記事を載せているのを目にしました。
修理完了後3年が経過して、既に各所に剝落などが見られるとの記事でした。
東照宮の総務担当者は
「剥離やカビは寛永年間の技術で修復したので仕方ない部分があります。
今後も手作業でメンテナンスを続けていきます」と語ったと記事にありました。
東照宮のある日光山は、降雨量が多く湿度の高い所です。
木造の建物が傷むのは止むを得ないものがあります。
特に陽明門は国宝ですので、可能な限り創建当時の技法で行うもので、
新たな素材などを使う事は出来ないと思います。
陽明門の剥落などがどの程度のものなのか、実際に見ていないので分かりませんが、
ある程度の劣化が始まっていても仕方ないのかも知れません。
2017年3月の修繕工事終了の時の式典の時に、
宮司さんが、「今日が一番美しい。」とおっしゃったのが新聞に載っていました。
フライデーの記事を見て、この言葉を思い出していました。
フライデーの記事は下記のサイトをご覧ください。写真もあります。
https://friday.kodansha.co.jp/article/136518?
この記事に対し違和感があるとの記事がNOTEにありました。
これによると、劣化した箇所はすべて胡粉塗とのことで、
日光ではこれまでも胡粉塗の箇所に生じるカビと剥離に悩まされてきたが、
まだその対応策が見いだせないでいるようです。
詳しくは下記をご覧ください。
https://note.com/japanjoboji/n/n5bdb8d5a786f
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