様々な人間関係のなかで、親子関係は最も大切なものと考えています。それは、親子関係が、すべての人間関係の始まりとなるからです。親子の間で満たされるべき感情が満たされた人は、友達ともうまくいき、恋人ともうまくいき、他人と協力する喜びを知り、親密なる力を持った人は、会社でもうまくいくのだと思います。
親に充分に愛されて育った人ならばやたらに他人の注目を集めたりしないし、絶対の愛を求めたりせず、要するに相手が出来る事しか相手にもとめないと思います。ですから皆から愛される視点祝福された人生を送ることが出来るのです。逆に親から愛されなかった子供は、愛に飢えています。
やたらと人に愛を要求しますが、それでは、他人から愛されるはずがありません。挙句の果て、直ぐにひがみ、虚勢を張り、他人に嫌われる事になってしまいます。親と子供の関わりは、与えてくれるものでもあり、奪われるものでもあります。関わりは、自分もしくは子供が生まれたときから始まります。
生まれてから、7歳くらいまでの間は、子供は親の影響力の中にあるので、親の良いところ、悪いところを吸収してしまい、この期間についた傷は、無抵抗の中で行われたものだけに、深い傷となる事もあります。
7歳を越えた頃から、自分なりの考えというものが生まれ、強い自我が目覚め、親に抵抗することが出来ず、内に抱え込んだ自分の考えとで悩む事でしょう。この思いは思春期を迎える頃に激しさを増します。親子関係の中に、今までとは違った風景を見ていくことは、人生には大切なことだと思う。
それは自分の世界を構築する試みと言っても、過言ではないでしょう。もし人生の道を歩みぬくことが出来るのであれば、そこから得られる宝は、大きいのです。子供が反発した親とは一体なんでしょう。
人の子供と比較する親、世の中の悪を教える親、お前の考えは違うと認めてくれない親、本当に言いたいことを言えない親、未来の幸せをお金だと考える親、向かい合ってくれない親、理由も無く否定する親、いつも安定しか考えない親と様々でしょう。
それらを行っているのは、親ではないかと思われるでしょうが、親は、それらを言ったり、行ったりしているのではなく、子供と同じように、行われている存在なのです。親や子供という個々の歴史を超えて、その過去の、親のまた親の世代から、さらに遡り、人類の意識がこの世に生まれた頃から、蓄積されてきたものなのです。
個々を越えた何者かを、自分は親の個人的なものとして見ている幻想があります。変わらないのは親でなく、変わらないのは、長年の間、繰り返されてきた答えの見えない苦しみであり、また、その苦しみを個々の問題として見続けてきた思いです。
親が生まれた時から、そのまた親とどのような関係を持っていたか、どのような環境の中で育ってきたか、何を経験し、どのように感じたかを思えば、その中に、きっと親が、今自分が経験している苦しみと全く同じものを既に経験していることがわかるでしょう。
親の抱えている問題は、自分の中にも存在し、深いところでは人類全体が抱えている問題だから親を否定し続けるのは、自分を切り離す事と同じなのです。未来で、あれほど否定していた親と同じ事をしようとしている自分を見て驚くことになります。長年の間、世代から世代へと受け継がれている苦しみとは、一体なんなのでしょうか?
自分の、苦しみは、そこに意識と知性の光を照らしてくれる事を待ち望んでいる、長年蓄積されてきた願いのようなものがようやく息を吹き返すのです。その瞬間を、永遠と待ち続けている未来の命なのだと思います。 親と子供の対話は、困難な課題を歩み続ける中で、未来への思いとして、きっと命を見いだすことでしょう。
それは親の中に、そして子供の中に沈んでいたものなのです。どんな仲のいい親子でも、子供の時から仲がいいのではなくて、ある反抗期に喧嘩する時期を乗り越えて仲の良い状態が生まれてくるのです。子供が成長したときも、両者が喧嘩を通して成長していく状態が最も活性化している状態だと言えるでしょう。
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