小川糸はこれからどこに行くんだろう?と思った。
「食堂かたつむり」からずっとこの人は「食べること(生きること)と死」にこだわって書いてきた。
今回はついに、余命数か月のヒロインが瀬戸内海の小さい島にあるホスピスへ入る話。
そして本当に死んでしまう。
入院経験があれば、もしくは身近な人間が入院したならわかることだが、
入院患者にとってほぼ唯一の楽しみが「食べること」だ。
メニューは丁寧に読み、好きなものが予告されると期待する。
何かでその「好きなもの」が食べれなかったりするとすごくがっかりする。
いつかは退院できる入院患者さんでもそうだから、
ましてや、「人生の終点」であるホスピスにいる患者さんなら
「食べる」ことの意味は数倍、数十倍も重くなる。
「ライオン」はホスピスの名で、月に1回おやつの日がある。
入院患者さんは、自分がこれまで食べた中で一番おいしいと思ったおやつを
投書箱にいれて、ここからの抽選でおやつが作られる。
そのおやつを食べた状況をなるべく詳しく書く。そのほうが再現性か高くなる。
おやつを食べる前に、その投書を(名前は伏せて)施設代表の「マドンナ」が読む。
ただでさえ重要な入院施設での食べ物、しかも主食でなく楽しみで食べるおやつ。
そのおやつに患者さんの人生で「一番」の思いがこめられたら、
もうそれ以上の食べ物はないかもしれない。
銀行員を辞めて長年の夢だったカフェを開いた「マスター」は
カフェを開く決心の元になった「カヌレ」をリクエストする。
食べながらヒロインは「あのマスターがいれてくれたコーヒーがあればいいのに」と思うが、
このおやつが出たのはマスターが亡くなったあとだった。
ヒロイン自身がリクエストしたおやつは「ミルクレープ」。
両親とも早くに亡くなり、自分を育ててくれた義父(母の双子の弟)のために
はじめて自分で作ったお菓子だ。
これが出たとき、ヒロインはもう、自分の口でものを食べることができなくなっている。
それでもクリームのにおいをかぎ、少しだけクチビルをつけてにっこり笑う。
実際にホスピスを取材したのだろう。現実的な場面に何度も泣けた。
すこしうとうとしたと思ったら4,5日経過している。
今日は調子がいいと思って立とうとしたらおむつがあてられている。
部屋に、いないはずの人が訪問して話をする。
友人が訪ねてきて廊下でマドンナに病状を聞いているのが聞こえる。
ああそうだね、そういうことがあるね、と思うだけで泣ける。
それにしても、ここまで書いてしまって
次に小川糸はいったいどういう作品を書くのだろう?
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