拙宅が有る辺りから、成田街道沿いに少し東へ行った辺り…
かつて、この辺りは習志野原と呼ばれていました。
以前も書いたように、明治初期に軍隊演習がこの地で行われ、明治天皇による「篠原将軍を見習え」のお言葉から、「見習え篠原」、そして「習志野原」となったと言われています(異説有り)。
騎兵学校や広大な演習場など、多くの軍施設が有った習志野原ですが、自衛隊の駐屯地や演習場は残るものの、そのかなりの部分が団地や工場などになり、そして近年はロードサイドのSCなどに姿を変えています。
先日、その中のホームセンターに行く用が有ったので、ついでに周囲を歩き回ってみました。
習志野原は船橋市、習志野市、八千代市などに跨がっていますが、千葉市も極めて近く、市境界線が複雑に入りくんでいます。
その一部、千葉市に入ったところに有る某紳士服専門店が、私が入社前にアルバイト研修という名目で数ヶ月お世話になった場所…当時の足は専ら原チャリでしたから、小回りが効き、この辺りあちこち走り回っていました。
そんな訳で道の繋がり具合はだいたい分かっていますが、昔とはずいぶん様子が変わりました。
前述のように、工場などに代わってロードサイドのお店が増えたこと。
反面、アルバイト研修時代より後に出来たのですが、このエリア先発SCだったイトーヨーカドー東習志野SCが退店したこと。
道は知っていても、街並みは知らない場所のようです。
ホームセンター駐車場の片隅には、トトロを思わせる木が立っていました。
八千代台駅へ向かう途中にはこんなお店が…
ここでプロレスの神様の名前を見るとは(^^;)))
もっとも、猪木会長がプロレスから離れ、U系と呼ばれた団体も事実上存在しない今、神様ゴッチのネームバリューも昔ほどではない気がします。
なんだったかの記事で、谷津嘉章が「ゴッチの技術だけでは勝てない」と言っていました。
同じアマレス出身であるマサ斉藤、長州、馳らに比べると地味な感は否めませんが、紛れもなく全日トップの一角でした(トップのトップは鶴田)し、新日入りする前は、アマレスでモントリオール、そして日本がボイコットしたモスクワの2大会で日本代表に選ばれた掛け値無しの実力者です。
その谷津が言うならば、これは説得力が有ります。
年代が近い(谷津が2年ほど年上)前田日明ともっと戦って欲しかった…
当時の維新軍団が新日プロレス興行(後のジャパンプロレス)として、新日から独立したのが、かえすがえずも悔やまれます。
私なりに妄想してみれば、サブミッション技術に長けた前田も、グラウンドでは不利と考えて、キック中心に戦っていたのでは…
因みに前田は引退して長いですが、谷津はメディアに出る事は少ないながらも、インディーの興行に出たりはしているようです。
「ゴッチ」の文字だけで随分連想してしまいましたが、やがて京成の八千代台駅に到着。
紳士服専門店の頃は原チャリでしたから、駅を利用する事は稀でしたが、スカッシュをやっていた頃は、セントラル行く為に割と利用していました。
この八千代台は、住宅団地発祥の地とされています。
但しその団地とは、その言葉でイメージするこのようなモノではなく、昭和30年に分譲が始まった団地は、木造平屋一戸建てだったそう。
それって団地なの?という気もしますが、間も無く鉄コン2階建てテラスタイプが登場。
このタイプは、実家近くの高根公団にも有りました。
この駅は、西口東口とも駅前広場を中心とした放射状道路となっていますが、この団地整備に合わせて道路も計画されていたという事でしょうか。
写真は撮り損ねてしまったので、Googleストリートビューから。
なんで撮り損ねたのかと言えば、その前にこれが気になってしまったから…
ミルフィーユバーガー?
千枚の葉の意味であるミルフィーユ、一般的にはパイ状の菓子のイメージですが、それがどうしても○○バーガーというイメージに結び付きません。
いやいや、ライスバーガーのように何でもかんでも「バーガー」の文字を付けて名称とするのが一般的ですが、あれはハンバーグの「バーグ」から来ているのでしょうから、「バーガー」だけ切り離すというのは、そもそも間違いではないのか?と思わなくもありません。
それにしても、ミルフィーユバーガー…
どんなんだろう?
甘いのかな?
そうそう
たぶん15年くらい前、八千代台で飲んでタクシーで帰宅したところ(たぶん電車は終わっていたのでしょう)、なんと財布に紙幣が全く無く、しかも日曜夜でATMも使用出来ず、「翌日現金書留で送ります」となった事が有りました。
もちろん翌日ちゃんと送りましたが、今にして思えば、歩いたって大した事ないじゃん!
歩けば良かった(>.<)
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