人生いろいろな問題が起こることがあります。ときには“困った問題”に直面します。
そうした困ったことが起きた時、私は声を出して自分自身に問いただしてみるのです。
「私は本当に困っているのか」
でも本当は、私たちには「困ったこと」などは起きないのです。そして「困ったことは起こらない」と考えた時に、現実が変わるということを知っていただきたいのです。
具体的な例をあげてみましょう。
わたしの知り合い、小俣さんちのカンちゃんの話です。
カンちゃんは、とても働き者です。ところがその弟さんはサーフィンに夢中で、あまりまじめに働こうとしません。
カンちゃんは、そんな弟さんに「アイツは困った奴だ」と思うことがしばしばありました。でも、カンちゃんが「アイツは困った奴だ」と思うときに限って、兄弟喧嘩が始まってしまうのです。
そんなカンちゃんを見て、ある日、私は彼に聞いてみました。
「なあ、カンちゃん、あんたは弟さんが働かないからって、本当に困るのかい」
すると、カンちゃんは、
「弟がサーフィンばかりやっていたからって、弟は困らないし、俺も何も困らない。俺は一生懸命働いて事業家になるんだから、アイツ一人くらいは食わせてやれる」
と考えたのです。
そして、そう思ったと同時に、弟がまじめに働きだしたのです。
ここで、一つポイントになるのが、カンちゃんは、
「働かなくて困るのはアイツのほうだ」と考えたのではなく、
「アイツ一人ぐらいは自分が食わせてやれる」
という広い気持ちで、「困ったことは起こらない」と考えたことです。
私が言いたいのは、そういうふうに考えると気持ちが楽になりますよ、ということではありません。
「困ったことは起こらない」と考えた時に、現実が変わるということを知っていただきたいのです。
実際カンちゃんの弟さんは、カンちゃんが「困ったことは起こらない」と考えるようになってから、真面目に働くようになったのです。
次は私自身の話です。私がここ何年か長者番付で事業家の中でトップになるようになって、週刊誌が「斉藤氏は親の面倒を一切見ない」といった類の、いろいろ噂を書くようになりました。
でも、私はこれでも親の面倒は見ているつもりです。それなのに、週刊誌にそんな記事が出るものですから、わたしの家の近所の人から、
「斉藤さん、親の面倒は見てあげたほうがいいよ」
と言われてしまうのです。
この言葉に、私は一瞬ムッとして嫌な気持ちになりました。
でも、よく考えてみると、私が「親の面倒を見ない」と近所の人から思われることで、私はいったい何に困るというのでしょうか。
そんなことを思われても、私は三度三度のご飯を食べることができますし、仕事のほうもとても順調にいっています。
私の親だって、ちゃんとご飯を食べていますし、旅行に行ったりして楽しく暮らしています。
私に困ったことは起きてないし、誰も困っていないのです。
そう思い直したら、いつの間にかくだらない噂も消えてなくなってしまいました。
私は思うのです。もし、あのとき、あの噂に対して「困った」とか「そんなことは言われたくない」と思っていたら、私は死ぬまであらぬ噂を立てられ続けたでしょうし、私は永遠に困り続けたことでしょう。
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